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散らせる前の花の香り

何だか春が近くなってきたせいか、氷上のアスリートの美しき舞を見たせいか・・・
当初、レッスンに入る予定だったレオノーラのアリア「恋は金色の翼にのって」を急きょやめた。

そしてこの曲「Romeo et Juliette」のジュリエットのアリアを始めることにした。
ワルツである。そしてまたフランス語である。



このGUY JOOSTENの演出は、この箇所に限らずその解釈に疑問をいだく人もいるかもしれない。
また、アリアの解釈も歌い手によって異なるが、私自身は、歌詞どおり素直にとって良いと思っている。

春は近い。
by lakeforest | 2010-02-26 20:56 | 音楽

平和の祭典

アスリートたちの美しい氷上の舞が始まった。
ハラハラわくわくしながら、技術の高さと美しさに見入ってしまう。

1988年、オリンピックのBattle of the Brians
イーグルを持ち味としていたボイタノの姿を思う。
今回は、僅差で敗れた銀メダリスト、オーサー監督の思いも感じられた。

得点内容が開示されて、やはり「音楽の解釈」という部分が気になった。
これは表現力だけではなく、構成点にもつながる。
音楽の選曲段階から重要であろう。

音楽に技術だけではなく気持ちや表現力を載せる。
近年、氷上では「自分らしさ」「自分の良さ」を最大限に出せる人たちが表彰台に上っている。

ストーリー性のある音楽は気持ちを載せやすい。
観客を引き寄せ一体となれる音楽は見ている方も気持ちを載せやすい。

アスリートの芸術である。
これは何も氷上だけに限らず、オリンピックでのアスリートの姿全てに共通する。
アスリートの姿、人の持てる力を最大限に引き出す姿、そこには目に見えない神秘的な力があり、人の姿そのものが芸術であると感じる。

いや、きっと全ての人間にとって、人の姿そのものが芸術(の素)であることを知る機会が、平和の祭典なのかもしれない。

人の姿がそのものが芸術だとしたら・・誰の?
愚問であろう。

表彰台に上がる選手たちを前に「神ジャン!」と子どもたち。

そうそのかた。
神業とは、このこと也。
by lakeforest | 2010-02-25 07:52 | 雑感

O res mirabilis!

3月の母校での感謝ミサで、ソロで歌わせていただくことになった。
色々と選曲を考えたが、聖体拝領ということで、FranckのPanis Angelicusとした。この曲は荘厳ミサ曲の中の曲だが「天使の糧」としてテナーによって歌われている。メロディだけではなく歌詞も素晴らしい。

歌詞(カトリック聖歌集)は 次のとおり:
Panis angelicus Fit panis hominum; 天使のパンは人のパンとなった、
Dat panis coelicus Figuris terminum 天のパンであって、旧約の前表を全うした
O res mirabilis! Manducat Dominum ああ、感嘆すべきことよ! 貧しいもの、しもべ
Pauper, pauper,Servus et humilis.   および卑しい者が主を食しまつるとは

Panisのデュエットといえば、このお二人。
パパパヴァロッティはきちんと歌えているが、オペラ歌手の息子の方が譜面を追いかけきれていないが、さすがの声である。Padreもこの年齢で素晴らしい声だが、やはりプロはどんなに高音になっても喉の位置が変わらない。



これを見て、やはりデュエットが良い・・と考え、ワタクシの声にあうかたを昨日の練習で探した。その場で下級生にお願いしてみたら、喜んでと引き受けてくれた。楽しみである。

今日はミサの後に聖書の分かち合いだった。
ルカによる福音書のシモン・ペトロの漁の箇所である。
不思議なもので、最終的に3月のミサでの聖歌を決定せねばと思い、「主は水辺に」を考え、昨晩遅くに、式次第に楽譜を入れたばかりだった。
とても良いわかちあいとシェガレ神父様による聖書解釈もとても勉強になった。
何か力をいただけるひと時である。

帰宅途中のバスで教会のかたと一緒になった。
先週の私の聖歌奉仕の際、感動して、何かグッとこみあげてきたとおっしゃって下さった。感謝。
by lakeforest | 2010-02-21 16:42 | 雑感

解釈

何と言っても、METのCarmenはすごい布陣。
Carmenがガランチャ、Joseがあら~にゃ、そしてMicaelaがfrittoliである。
ライブビューイングのフレミングの舞台裏インタビュー(三人とも)を聴いて断然好感度UPだった。

さて今までミカエラと言う役は可憐な少女的なイメージが多かった。
ところがFrittoliは、今回カルメンに対峙するような強さを持った女性として演じている。

私自身も、カルメンは柔らかく奔放、ミカエラは堅く強いと思っていたので、フリットリのインタビューの中に、ミカエラが村から町へ、兵士の中へ、山の中へとJoseを追っていくほどの女性であること、強さは恐怖心の裏返しであると聞いた時に拍手した。

ということでこれ:




で、おまけと言ってはなんだが、やはりこの声・・bravo!:


by lakeforest | 2010-02-18 19:12 | 音楽

La Speranza ~パンドーラは蓋を・・・~

保護者会があった。
昨年の4月、本年度の学校目標は「希望」といわれた時のことを思い出した。
日ごろだけではなく、とくに失敗したり、どうしようもない状況に陥った時に見出すものであり、大切なものであると、おっしゃられたように記憶している。

正直、このことを聴いた時に、実に平凡で少しがっかりしたことを覚えている。
・・・
今考えると愚かで稚拙であったと、共感できなかった自分を恥じている。

希望とは
・「毎夜生まれては明け方に消えるもの」・・プッチーニのオペラ"Turandot"(トリノオリンピックで歌われ&金メダルをとった曲のオペラ)の3つの謎解きの一つ目

・「具体的な何かを行動によって実現しようとする願望」(東大社科研による社会定義)。

・「道のようなもの」・・byヤンキー先生

・あきらめにも等しいものである。そして、生きることは、あきらめないことである。・・by カミュ

幸せや安らぎが静かに続くもの穏やかなものであるとするなら、希望には動きがあると感じる。
それは小さなものであっても大きなものであっても、心の片隅にかすかであっても鼓動が聞こえるような・・・。

信仰、希望、愛という。
パウロの書簡には希望という言葉が多くある。
私見だが、きっとイエスに出会ってから、色々な形での希望を見たのだと思う。
表現も多様化されているように思うし、確信というかゆるぎないものとして記されている。

信仰と愛だけで生きられるか?
そんな(意味のない)問いかけをした時、心の動きがなければ二つは生まれず、その心の動きたるものが希望なのではないかと考えたりもした。

今日はとても冷える夜だ。
身体を温めてもすぐに冷えてしまう。

ところで、Pandoraは箱(蓋)を開け、閉めたのか・・・
はぁ今日も眠れなさそうだ(笑)。

毎度、とりとめもないことで、失礼をば。

Rossiniの信仰、希望、愛が有名だが、今日はセミラーミデから:
イタリアに講習に行く際の講師による歌唱


by lakeforest | 2010-02-17 22:03 | 雑感

justice

このところちょっと偏向的な内容となってしまっていたが、それも今日で終わるであろう。

明日からカトリック教会は四旬節に入る。
私にとって今年は特別な40日となりそうだ。



今日は1年前に韓国の金枢機卿が帰天された日である。
ご自身が人間の盾となり、人命を守り、救った人である。
祈りながら迎えた1日だった。
感謝。
by lakeforest | 2010-02-16 19:56 | 価値観

やすませて

人間の苦しみをケアするという教会の重要なつとめ・・・。
今日は世間的には「建国記念の日」何でも神武天皇が即位した日とか。
カトリック教会では「世界病者の日」とされている。

1858年2月11日はルルドの聖母出現の日。
教皇JP2によって2月11日が「世界病者の日」と定められ、教皇庁(バチカン)に保健従事者評議会が設立された。今年は評議会設立25周年にあたる。

今日は、カテドラルで行われた病者のミサに与った。
お説教は大司教様によって、「病者」とは・・、「病者の日」の示すものと私たちの務めについて等が淡々と話された。

共同祈願の後の「聖なる父よ、あなたを仰ぎ見て祈り求めます。わたしたちが御ひとり子の受難に力づけられ、その快い軛(くびき)をいつも担っていくことができますように」の言葉がとても響いた。

聖体拝領へと席を立つと私の名前をささやく声が・・・母校の2級下の下級性であり、娘の1級上のお母様であった。
ミサ後のお茶の席では、娘の学校の先生、以前にお世話になった神父様がた、個人的に不思議なつながりがある助祭、知り合い、友人のご両親などとお会いできた。

感謝。

今日はこの曲:
素晴らしいハーモニーづくり。この曲の最後が好きな私である。


疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
by lakeforest | 2010-02-11 20:41 | 価値観

或る冬の日

とけかけのアイスキャンディ
雪が降った日の朝、不思議とためらうことなく
「これ私が作ったおにぎりなんですけれど・・おじさん、よかったら食べて?寒いから気をつけて」と
お昼に食べようと思ったおにぎりとバナナを・・段ボールを地下鉄の出口から外へ運ぶおじさんの手に渡すことができた。

6年ほど前に近所の公園で凍死した人がいる。
夏の蝉がミンミンと叫ぶ中、幼稚園の子どもにアイスキャンディを買ってくれたおじさんだった。
「おじちゃんの手はきたないけど、アイスは買ってきたばかりだからきれいだから」と、はにかみながら少しとけかかったアイスを差し出してくれた。
遊んでいた園児の数だけとなりの商店から買ってきてくれた。
ママたちは少し躊躇しながらも「ありがとうございます」と言って受け取り、子どもたちに「ありがとうは?」と促し「いただきましょう」と言ってアイスキャンディを頂いた。
子どもたちは「おいしいね!」「うんおいしいね」といって頬張った。
暫くして「これよかったら・・」とおせんべいをお返しに渡した。
公園のあずまやを自分の部屋のように使っていたおじさんだった。

卒園式を控えたある冬の日、お昼頃に公園へ行った。
すると、知らないおじさんが「あそこに住んでたおっちゃんね。今朝死んだって。いい人だったのにな。心臓麻痺だって」と。
寒い寒い日だった。

白い吐息で思い出す。
とけかけのアイスキャンディとおじさんの笑顔。


不必要な私
「あなたは、もういらない」と言われたことがある。
突然上司に、密室で二人きりで。
それ以来、私は密室を嫌い避けている。

昔の話である。
過去のことでも、その心の痛みは癒えることはない。
年度末が近づくと、その言葉が思い出され、とても苦しくなる。
ゆえに2月は気落ち月間である。

今、人権福祉を扱っている人間として、この経験はとても大きなものとなった。
以前、同僚が言っていたことがある。
人権問題に触れ、勉強すればするほど、知識が増え、頭でっかちになり、本当に大切なことを見失いそうになる・・と。

to do≦to beであること。
当事者と同じ目線・・・。
心からの感謝の気持ち。

不必要な私だからこそ、必要なことを得られたのだと思っている。
by lakeforest | 2010-02-09 20:32 | 雑感

四旬節薔薇

e0108276_21522787.jpg道端の花屋さんで、とても可憐にさいているクリスマスローズを見つけた。

今日お会いする女性にぴったり!と思い購入。アイヴォリーの用紙にワインカラーの太めのリボンでラッピングをお願いした。

ここのお花屋さん(都内に同系列店が4軒あり、2軒は自宅から近く)は私のお気に入りの一つで、店頭にならぶお花の傾向とラッピングが気に言っている。デジカメを忘れたので、携帯で写してみた。

実物の花弁の色は、もっと何とも言えないボルドーッぽい紫(下二枚の写真の感じ)。花芯が黄色だが、花弁が花芯にむかうほどうすいベージュのようになっているので、くどくない。とにかく可憐だ。

e0108276_2222984.jpg大事な人へのお花は、たいていこのお店で選ぶ。
先日、オペラに出演した女性にもお花を差し上げたのだが、数か月前の公演でワインレッドのダリア、と大人っぽく納めたので、今回は紫色のチューリップ(多分シーワルド:パープル)を差し上げた。

その時に、チューリップだけでは少しさびしいから緑っぽいものを添えましょうと、お花屋さん(同系列)がブプレウルムを選んで下さり、やはり緑、薄い黄色、紫でとてもすてきな色合いになった。なんだかこの頃、そういう色に目がいくのかもしれないが、店員さんのお花の合わせかたもセンスが良いと思うし、やはり何と言っても仕入れているお花の種類が良いかなぁと思う。

なぜこの時期にクリスマスローズというのだろう・・・と調べてみたら、日本では同系の花をすべてクリスマスローズと呼んでいることがわかった。本来、この時期に咲くものは、四旬節(Lent)の時期に咲く種類ということでLenten Roseと呼ぶらしい。色も四旬節色のうす紫である。何だか嬉しくなった。

さて、その四旬節薔薇を差し上げるお相手と待ち合わせの場所に行く。
それはここ。お花の先にCarteが見えるでしょう?

e0108276_22235144.jpgそのカフェはビルの吹き抜けの部分にある。そこのケーキはそのお店でしか頂けず、お持ちかえりはない。このお店の名前でブーランジェリーがあり、そこでケーキも販売しているが、それは提携しているSaint-Germanのものであるから違うものと考えて良い。

大きなストーブがあって、それがまた何ともいえなく懐かしいストーブ。その脇のテーブルに座りお待ちしていたが、初雪が降ったこともあってかとても冷えてしまったので、中に入った。

ア・ラ・カルトを2品とワインで、話ははずみ、またたく間にお別れの時間となった。
二人でお会いしたのは初めてだったが、同じような思いを抱いていたこと、その気持ちをシェアできたことが嬉しかった。ワタクシよりも人生の先輩である。今までは遠くからしか拝見していなかったが、お会いして益々慈愛に満ちたかたであるなぁと思った。そして、とても勇気をいただけた時間だった。

寒空に咲くLenten Roseのような・・・そんな二人だったかもしれない。すてきなひと時に感謝♪
by lakeforest | 2010-02-02 23:06 | 雑感

雪のように

この頃「失礼なこと(ワタクシ目線で)」に巻き込まれることが多く、どうしたものかと感じている。

自分が当たり前のことと思っていることが、そうではないのか?と、ある種、自己不信というか落胆が続いている。

その1
原稿の執筆を頼まれることがある。先日、加筆修正でトラブルがあった。
執筆原稿の内容は、当然ながら、依頼した執筆者に任されている。編集サイドとして、執筆内容の妥当性の確保は必要だが、よほどのことがない限り、そのまま掲載し、加筆修正が或る場合または必要性を感じた場合は、執筆者に指摘または依頼し、執筆者自身に加筆修正をお願いすべきものと思っている。

私の手順、間違っているのか?
人の文章を勝手に直すなんて、あなた何様?」と言いたくなってしまう私が実はいる。厳密には「いた」。

その2
家外活動では打合せや会議が多い。
時間内に決めなくてはならないことが沢山ある場合、きちんとタイムキープして決議していことが議長の役目。万が一、決議に至らなかった場合には、継続審議にするのか、結論をどこに付託するのかを明確にし、付託者が決議した時点で、会議参加者への経緯と結果説明が必要。

あの会議で話したことはどうなった?ただの意見聴取、はたまた分かち合いで終わってしまった?ということもある。知らないうちに、違うところで決まっていた場合は、説明責任がないのだろうか?何のために集まり、話しているのかわからなくなる。

その3
他人を引き合いに出しての言い訳、責任の所在をはぐらかすのはやめ。

以上。

自分としては、こういことが起こるたびに、きちんと話し、改善をともにしたいと言っているつもりなのだが。
はぁとうとう、ブログに書き留めてしまった・・・orz. 

外は初雪。足跡もない雪のようなきれいで輝いていたいものだなぁ。
by lakeforest | 2010-02-02 06:30 | 価値観

日々のできごとを、訪れた方々と分かち合えたら・・。( 本ブログの文章、データ等の無断転載、使用はおやめください。)


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