カテゴリ:教育( 10 )

Today is the day

久々に感動した。
そう、愚息の体育大会である。

3年目にして勝利チームへ、そしてクラス優勝も勝ち取った!

親友二人が、敵・味方の応援団長だったし、殆どの男子生徒が我が家に遊びに来たこともあり、敵・味方関係なく親しみをもって見ていた。皆、普段家で見せる屈託のない笑顔と違って「やるときゃ、やる!」という顔つきになっていた。

100M走では、近いタイム同士が走るのだが、息子は毎回3位。どうしても抜けない。今回は2位を目指すと言っていた。

今年はアウトコース。(アウトコース特有で)トップで走り抜き、ラスト直線、追いつかれる。手に汗を握る…鼻差で勝ち抜いた。応援団長が、片手に大旗を持ち、片手で天に向かってガッツポーズ!その後、列に戻る際には、皆がハイタッチで迎えてくれた。ジーンときた。

得点にも結びつくが、本人にとっては、3年間変わらぬメンバーで走り、初めての勝利というところが感無量だったようだ。

リレー。
本人曰く、とても緊張したという。最終から2番目。息子の番では3位と接戦の「2位」で回ってきた。いつもは「3位」で回ってきて、2位の友だちの背中にぴったりとつくのだが、どうしても追い抜けないと聞いている。今回はその逆転状態。このままだと抜かれるのは必至だ(汗)。

バトンの渡し方が大変スムーズ。相手も来た。ぴったりと一歩後をコバンザメみたいに…。となりで見ていた親御さんは敵方のチームらしい。すごい応援だ。今のところ1位も3位も同色チームだから、これで息子のチームを抜けば、1、2位ゴールとなる。

私も負けていられない。
GOGOGOGOぉぉぉ!(←一応、英語強化校なので、アナウンス等は基本、英語。でも出てきたのはこの動詞 苦笑)(息子の名前)FORZA!GOGOGOGOぉぉ!(うん?まぁいいか)

第3コーナーを回り、応援はピークに。つまり、息子ピーンチ!いつもの息子なら、ここで力尽きていた。しかし昨日は違った。走りは衰えない。バトンをスムースに渡して、アンカーへ。GOOD JOB!よく死守したぞ。東大くん、ありがとう。

ここでまた応援がもりあがる。何故って、2位と3位は双子の兄弟。接戦か、と思いきや、少し距離を広げて2位勝ち抜け。

しかし、今までこんなに手に汗握った運動会、体育大会は初めてだ。

クラス代表対抗のイカダレース(1位)、ムカデ競走(2位)と、クラス全員の大縄跳び(1位)と息がぴったりあって、結果的にクラス優勝も手に入れた。組体操も圧巻で、最後の7段組みもきれいに決まった。

校長先生の話し。
「今年は、3年生の気合いや意気込みが充分に感じられた大会だった。早朝練習も例年になく早く始まり、大変、熱心だった。本当に熱い戦いが繰り広げられ、素晴らしかった」というようなお話だった。

まぁ、体育科主任のクラスだから、負けるわけにはいかない…と言っても、今まで3連敗だったらしく(去年も担任)、帰宅時のHRでは満面の笑みで「おめでとう」の一言だったらしい。

ちなみに担任は、松坂大輔、そしてもう一人の体育の先生は山本太郎のそっくりさんで出てもおかしくない感じ。

そして、先生の口癖は「今やらなければ、いつやる!今日は明日につながるんだ!」らしい。(体育の先生、独特の)熱い思いと導きに感謝。
[PR]
by lakeforest | 2012-06-04 04:25 | 教育

人の心

大学生からのメール:
世の中には変えられるものと変えられないものがある。変えられるものは何か答えなさいという体育教師の質問に「人の心です」と答えた。

すると教師は、それは変えられないものの筆頭であること、あなたが変えられると思うのなら宗教家にでもなればよいと言われたこと、昔、あなたと同じような学生が神父様に恋をして、自分に振り向かせることができずにその大学のビルから飛び降り自殺をしたことなどが語られたという。

彼女は授業中、皆の前で爆笑の渦に巻き込まれ、全否定されたような気持ちになったという。
そして冷静に、人の心は変わるし、変えられるという可能性についての自論を展開し、教諭が示した例は適切ではないのではないかと疑問視した。その上で、皆に意見を聴きたいという内容のメールだった。

この内容は、娘がお世話になった先輩から定期的に送られてくるメーリスの一部である。
「人の心って変えられないものなのかな・・・そんなことないよネ」と娘が考え始めた。

娘ょ、自分におきかえて思い起こしてみるがいい。
楽譜も読めない、初めてさわった楽器、レッスンに通えどなかなか部活動に追いついていけなかった貴女。部活動の選択を誤ったと思い、1年で辞めようと思っていたよネ。
同じ楽器を担当している先輩の一人がメールを下さった先輩だった。
彼女の献身的ともいうべき対応、「一緒に演奏したい」という言葉に、あなたは変わった。そして退部するという思いはかけらもなくなっていったではないか。

心に働きかけ、揺さぶらされることがあるからこそ、人は人の中で悩み、苦しみ、もがき、また喜びや幸せ、感謝の心を得るのである。人の心が変わることができるから、コミュニケーションが図れるのである。自分も人も、変わることができるからこそ、成長できるのである。

質問した体育の先生に真意を聴いてみたい。
心・技・体をどう捉えているのか。
心と体は一体であるし、連動している。
それにしても、失礼だが、例の挙げ方もカトリックの大学での話とは思えない。

私たちが世間ずれしているのか?皆さまはどうお考えになるだろうか?
[PR]
by lakeforest | 2010-06-22 21:23 | 教育

MT

今朝は、コンビニの廃棄損失回避のための値下げについての問題が、我が家の食卓での話題だった。

「あぁ店長さんがね~」と私がいうと、小学生の息子が「店長さんの気持ちにもなってみなょ」と。

私自身は店長さんがどうとは言っていないわけで、息子は母の表情から廃棄損失となるようなオーダーを出した店長が悪いのでは?と思ったらしい。

私はかかさずもとへすかさず、「廃棄処分にならないようなオーダーが望ましいけれども、それができないシステムになっているのではないか?そうじゃないと本店はもうからない。―中略―息子ょ、ここ(公正取引委員会)では『優位な立場を利用して』がミソだと思うけど・・」のような意を述べた。

息子は黙って「それは、僕が先生から不本意なことを言われたときに言い返せないときと同じ?」と。

う~んそれはビミョー、難しい。(まず「不本意」の視点が問題である。そして「不本意だ」と言い返せない状況下も考慮すべき、そして何より「優位な立場」は覆せないにしても「利用して」という利用というのには、言い返せない状況を利用して、ますます窮地に立たせるなり、いいようにさせるなりの事実が起こったときに初めて有効となるから・・)

でも、そんなことをグダグダ述べてもKYな存在になるし

「80%くらい同じに近い」と答えた。
「あとの20%は?」ほらきたッ
「言い返せない後にどうなるかによるから」
「そうか・・・」

息子ょ、Yesマンにはなるな。
貴方のもっている反骨精神を賢く生かしてほしい。そして人間、優位な立場(といわれるような立場)になったときに真価が問われるのだ。

あなたに対してのYesマンは本当に貴方の心からのYesマンなのか?そう思ってほしい。木を見たら森を見、森を育てるためには森の外を見、そして森の原点である木に戻り、木を大事にするのだ。

母のつまらぬ愚痴にもにた持論を食卓では述べられなかったから、こうして書いておくから。
今日もともに心良い一日を送ろうではないか。
教育的見地からMTな話題だった。いかんせん、酩酊とか、柵越えとかは論外な話題であろうしネ。
[PR]
by lakeforest | 2009-02-21 11:33 | 教育

アンケート

UNICEFの子どもの幸福度調査から、日本が最も「孤独感」を感じる子どもが多い国であると発表された。

何度も耳ダコとなるが、自分が自分でいい。そのままの自分を受容することが第一、そして互いを認める家庭、教育、社会という周りの環境づくりが必要。

官僚型というのは語弊があるかもしれないが、私たち一人ひとり(自分たち)が、社会を形成しているという意識が希薄であるとも感じる。同質感に安心感を求め、違いを異質と感じて排除する傾向、管理型傾向というのは、何かにつけ一方に偏りすぎのわが国の傾向にあっては生き難いものと感じる。

「違いを受け入れる」ことには度量の大きさが必要であって、それは1人ひとりが違う生き物であることを受容することからはじめなくてはならないし、ある種、いい加減というか、大らかさというか、こだわらないことが必要でもあると感じる。

そしてルール作りに必要なことは「大多数が生きやすい」という割合の問題ではなくて、生き難い状況をいかに生き易い状況に抱合して考えられるかということではないかとこのごろとみに感じる。

お年寄りから「長生きして迷惑をかけて・・」という声を聴くと悲しくなる。子どもが学校でいじめられて誰にも相談できずに一人で死を選ぶという事実に呆然となる。「命を授かる」という生命の神秘から、人間として「生きている」「生かされている」ということ、「人の尊厳」「命」が、何より大切なことだという社会の価値基準で、教育や社会、国のルール作りをできるのはいつになるだろう。

管理型社会の中でも、自分たちが社会を形成しているのだという感覚は決して忘れてはならないと自戒の念をこめて改めて考えた。

そういえば、先日息子が学校で行った身体のアンケートを見せてくれた。質問欄に「頭がいたいことがある」という身体の状況に○をつけるものであったが、最後に「自分のことが好きである」という質問があった。息子はあまり意識的に○をつけていたとは思えないが、そこの欄だけ◎となっていた。笑いながらもほんのすこし安堵感を感じた。とても自己主張の強いわが子であるし、クラスではご迷惑をかけることも多いかもしれないが、自分を大切に思うこと同様、これからは相手をも大切にできるのようにと願っている。
[PR]
by lakeforest | 2008-11-21 09:14 | 教育

風が吹けば・・・

先日、広告記事(何の広告だか失念したが←これって・・汗)を見て頷いた。私立小学校での国語の授業紹介だったのだが、その授業内容に感心した。

まず「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざを取り上げ、どういう意味なのかを先生が説明をする。では、そのような例が身近にないかを考えさせ発言させる。そしてグループに分かれ「風が吹けば動物園ができる」という仮題で考え、5段階に分けて文章を作る。『風が吹けば→○になる→○になる→○になる→しかるに、動物園ができる』という具合だ。こじつけでも何でも良いから、とにかく短い時間で考えさせ、発表する。2,3例が書いてあったがなかなか面白い。

次に、先生が別の一例(5段階思考文)を出し、「このつながりはないだろう」と思われることを考えさせ、個人個人の意見を述べる。・・・というような次第。

自己中、関係ナイという言葉が発せられる世の中であるからしても、例題が「つながり」という着眼点というのはうってつけ。とにかく、先生の知恵と人となりがたくさん詰まっていると感じた。そして写真で写っている子どもたちの目の輝いていること!授業中であろうし、その場しのぎでできる笑顔ではない。

理論構築を学び、思考方法を発見させ、想像力を鍛え、表現、発表方法も学べる。しかも限られた時間内で。ディベートには欠かせない要素が沢山つまっている。先生は指南というか舵取りである。実質的には生徒たちの発言によって成り立つ授業である。(うちの息子などは得意分野かもしれない。とくにこじつけとか・・)国語の授業というのは全てに通ずる基本であると改めて実感させてくれた。

さて、子どもの学校では毎年、危険から自分の身を守るにはどうしたら良いのかという話を聞き、親子で取り組む課題がある。「気をつける」という言葉の曖昧さの指摘を受け、まさしく上記の思考で危険について考える。

親が子に教え(伝え)られる基本的なことは躾、体験による知恵であろう。その知恵・体験をシェアすることから子どもに想像をめぐらさせ(想像力を鍛え)、五感を鍛えさせる(意識的に使わせる)ことが必要である。まずは、親である自分が想像力と五感を鍛えなおし!

それにしても、何の広告だったのか・・・風が吹けばの論理で許してもらおう。
[PR]
by lakeforest | 2008-07-09 07:22 | 教育

note-takinguuu

1学期も終わりに近づき、担任の先生との個人面談の時期となっている。大体、新学期後半の面談では、新しい学年になって、どう変わったかとか生活のペースとか確認されることが多い。

さて、試験前、上の子のノートが手元にないという事態が発生した。結果的には、同級生数名の間で回っていたということだった。ノートがかえってきて安堵するまもなく、翌日帰宅するなり「勉強法を盗まれた」と一言。詳しいことはわからないが、朝図書室で自習していた娘のところに「勉強方法を真似してもいい?」と数名のクラスメートが言ってきたという。

私は、頭が良い生徒のノートや勉強方法ならイザ知らず、なぜにしてうちの子の・・・ハテ?と。夫は、ノートというのは知的財産だから、易々と人に見せるものではないと。フーンなるほどぉ。

彼女が学校に行ったすきに、ちょっと机の上からノートを拝借してみた。驚きである。図解中心、自分の好きなマスコットによるト書きつきである。昔から、絵で上手に表現してあるとは思っていたが、数段腕をあげたようだ。まるで、わかりやすい初心者向け解説書のようなものである。

昔から絵が好きで、絵本作家になりたい→漫画家になりたい→漫画で歴史や観光案内(こげぱんのような)ものが書ける人になりたい・・・と思うだけのことはあろう(親バカでドーモスミマセン 三平調で)。

5-6年前「図で考える人は仕事ができる」(久恒啓一著)という本を読んだのだが、その部類に近い。「図(絵)を描ける人は学習ができる」と言い換えてもおかしくないはずなのだが・・・・。残念ながら成果は今一つである・・・またまたハテ?。

思うに、覚えなければならない優先度というのが学習の中で見えてこなかったのではないかと感じる。彼女にとっての優先度は、先生が赤など白以外のチョークで書くかどうかだったらしいが、違う色で書いたからと言って、重要ではなかったわけである。つまり、教える先生側に、彼女のような図解的志向がなく、チョークの色を変える意味が違っていたからだといえよう、ね。まぁ成果のほどは気長に待つとしよう。

下の子はノートを取らない子であるからして、ノートではなく、頭の中に整理できているのか・・・(汗)・・・こちらはもっと気長に待つことにしょう。
[PR]
by lakeforest | 2008-07-05 18:13 | 教育

不変の価値

前回の出張の機内で、今放映されている朝の連続ドラマと同名の落語を聞きました。
「ちりとてちん(酢豆腐)」。瀧川鯉昇師匠が話しているものだったと思います。これは聴いておかねばと楽しませていただきました。

寄席というものに行ったのはまだOL時代に(ちょうどタウン誌的な雑誌が出始めたころ)、友人が読者モデルとして合格し、一緒に落語を聞き、写真をとられ、雑誌に掲載された時が最初で最後でした。あとは、今のドラマじゃありませんが、友達が落語が大好きで、テープを貸してくれ、寝る前に聴いたりしたぐらいです。

さて、落語は面白かったのですが、その同名の朝ドラですが、職場でお昼休みに休憩室や食堂でかかっているのですが、人気があるものとそうでないものに分かれるようです。今回のものは何となく前作に比べると人気がないような・・・。

我が家では、今回のドラマの音楽を担当しているかたが、子どもが幼稚園のときご一緒だったお友達のお父様なためか?、夫が欠かさず見ており、子どもも録画を見ています。時々見る私としては主人公の女の子がいつも泣いているイメージがありましたし、なんだか噺家のイメージとは程遠いような気がしてあまり気持ちを入れてみていませんでしたが、ある時夫が「前作が好きな人にはわからないよさがある。脚本もいい」と・・。

そして、先週、私もリアルタイムで見ましたら、あるシーンに感動して涙がポロリ・・・。演じている主人公の女性も大変演技が上手です。

そして昔、娘がある私立小学校を受験させていただいた時の面接にて、校長様が「お父様にお伺いいたします。ご自分がお父様からお受けになり、ご自分のお子様に受け継がせたい、残したいという大切なものは何でしょうか?」と質問なさった時のことを思い出しました。

その学校は、夫がどうしても受験させたいと願書も自分で取りに行き、内容も全て自分で考え、私は添え物という感じでした。私たち家族は、その日の最後の面接者で、時間が大変遅くなってしまい、待ち時間が相当なものでした。私は娘を何度もトイレに行かせ、そこで運動させたり、大変長い名前の学校名を何度もピョンピョンはねさせながら言わせて確認させたりと大変でした。

順番になり、私への質問は自分の出身系列校に小学校がありながら、なぜその学校を受けさせたのかということでした。そして、次に前述の質問がなされました。

その質問で面接時間をフルに使いきってしまうほどでした。気がつくと、校長様はペンを置き、めがねを外され、心から夫の話に耳を傾けくださいました。そして最終的には現代社会の中で失われつつある価値観に対する教育の大切さについて意見を交わしてくださり「私たち教育者もお父様同様に、今の社会に迎合しない不変の価値についてしっかりと伝えていく所存です」とおっしゃって下さいました。

この朝ドラも、何か現代社会の中で失われつつあるというか変容してきている人と人とのふれあいや温かさ、不器用な人間とそれを温かく見守り支える人間愛、「伝統」の厳しさと守らなくてはならないものを信じて貫く姿勢など人間味溢れるドラマであるのではないかと数分のシーンで感じられたのでした。

今年の流行語大賞は何だろう・・「偽装」「そんなの関係(ない)ねぇ」「KY(空気読めない)」「どんだけ~」「ネットカフェ難民」「ワーキングプア」など、人と人との関わりをあらわす言葉が多いことに気づかされます。

恐るべし朝ドラ、こんなことまで感じさせてくれるなんて・・・。感謝。
[PR]
by lakeforest | 2007-11-25 21:00 | 教育

Let us leave acts, not words.

e0108276_1739032.jpg実に素晴らしい同級生の集まりに同席させていただきました。
私は彼女たちと同学年ですが、姉妹校卒業のため、共通の友人は何人もいるという関係なのですが、まるで本当の同級生のように、皆様と心あたたまるすてきなひと時をご一緒させていただきました。

フィリピンのスモーキーマウンテンの近くで、貧困の再生産をなくすためには幼児教育が必要と感じ、幼稚園を設立し、活動している同級生を囲んで、ポットラック形式でのお集まりです。

e0108276_17391764.jpg次から次へと手作りのおいしそうな手料理が所狭しと並べられていきます。
並べきるまえの写真が1枚目です。パエリヤ、北京ダック風チキン(これがなんとまぁ、チキンやたれだけではなく包む皮まで一枚一枚粉から作って焼いてくださいました)、アランチーニ(中がチーズと思いきやシュリンプ入り・しかも揚げたて)、サーモンディップでいただくクラッカー、フライドチキン、手作りパン(鶯餡がまたまた美味!)、おすし、サンドウィッチ、チーズケーキ・・・etc.北京ダック風チキンはお作りいただいたかたが自らサーヴしてくださいました。(写真左)

お食事をいただきながら、先日のコンサートのビデオ上映会。
校歌、卒業式や数々の宗教行事での歌など、そのときのエピソードも交えながら聴きました。出演していた私も、自分たちの歌がどのようだったのか聴かせていただき(なかなかじゃない!)と歌わせていただけたことに感謝でした。

e0108276_18394449.jpg美味しいものを鱈腹いただいた後は、労働で消費せねばなりませぬ!早速フィリピンの子どもたちにお送りする文房具、絵本、夏服、ぬいぐるみ(神の愛の宣教者会が活動している施設の子どもたちなどへも)をダンボールに梱包。door to doorで運んでくれるフィリピンの運送会社(日本の運送会社と提携している)にお頼みするのですが、大きなダンボールに詰め放題で1箱8,000円ぐらいでお届けできるのです。


e0108276_18652.jpgなんでも、海外で働いている労働者のための郵便だそうです。コンテナにつむためには、詰めた状態がきちんとした四角になっていないとだめだということで、詰めるだけ詰めたものの、最後に3体ぐらい抜き出さなきゃと、4-50cmぐらいのポストペットのモモちゃん、トイストーリーのエイリアンとクマのぬいぐるみが抜き出され、やはり子どもたちが好きだからと再び詰め込み、やはりどうしても1体抜かねばと、トイストーリーのエイリアンが日本に取り残されました。(ゴメンネ、君は日本の子どもたちを喜ばせる役目に回ってね)

帰る直前には、立ち話から『日本の教育』についての論議になり、またまた座ってお話し・・・。学力低下、大学のありかた、言語、個性と協調(同調)、日本と韓国の教育、子どものいじめと夫婦関係、家庭と学校など・・・大変有意義な時間でした。

一人ひとりが自己肯定感を持ち、互いを尊重する・・そのことをまずは家庭という小さな共同体から築きあげることがのちの社会を築く基礎であるとまたまた再認させられました。当たり前のことですが、まずはしっかりと自分が自分らしくあることが大切。気づいてみれば、この学年の皆さんはそれぞれがそれぞれに活躍し、相手を思いやるハートフルなかたばかり!とても居心地のよい、そして勉強させられたひと時でございました。

e0108276_18573932.jpgいつも皆さんが集まる場を提供してくださったかたにも感謝です。素晴らしいお宅もさることながら、見ょこの清々しい景色を♪

いただいた幸せなひと時、この幸福な思いを世の海原に少しずつ返していければと思ったのでありました。

(今日のタイトルは、学院創立者の言葉より)
[PR]
by lakeforest | 2007-11-15 18:53 | 教育

分身

この週末は息子の学芸会でした。
演目は『西遊記』。役どころは主役、孫悟空・・・の分身。孫悟空が自分の髪の毛を一本引っ張ると、何名もの分身がたちどころに現れて敵と戦う役でした。しかもセリフは1行。分身ですので、主役と同じ衣裳を用意させていただきました。

土日開催はちょっと怪しいと思っておりましたが、案の定、朝になり「喉が痛い」「熱が出た」と行きたくないふりをします。なかなか布団からでない息子に「分身がいなくなったら、孫悟空は戦えないじゃない!」と励ますと「一人ぐらい分身がいなくても戦えるよ」と(汗)。

「それでもセリフを一人抜かすと次の人が言えなくなるし・・」「大丈夫だよ。簡単だから、次の人が言うって」・・・暫く、そのままにしておきました。

「さぁ早く起きてぇ~どんな風に戦うのか見に行かなくちゃ。お目当ての主役がいないと見てもつまらないもの」「・・・」数分後。起きてきました。

ほんの1行のセリフであっても、ほんの数秒の出番であっても、あなたは立派な孫悟空の分身であり、私たち家族にとっての主役。息子ょ、どんな小さな役であっても手を抜かず、与えられた役を自分なりに精一杯こなすことは大切なことじゃない?人生も同じこと・・・ょ。

それにしても、分身の多かったこと。たちどころにすごい数の分身で舞台は埋め尽くされました。息子に聞いてみると、役は立候補で決める、つまり自分のやりたい役を挙手して決めたそうです。最初からテンション低すぎ(汗)・・・(←それを言ってはおしまいょ・・・ね)。音楽会は気合いが入りすぎているのが、ちょっと怖い気もしております。

e0108276_2255430.jpg

カトリック札幌教区カテドラル北一条教会。木のぬくもりに包まれた温かな箱舟のよう。
[PR]
by lakeforest | 2007-11-11 22:12 | 教育

言葉づかい

子どもの頃から、言葉遣いについて、厳しく両親に躾けられました。

常日ごろから、家での言葉遣い=外での言葉遣い、つまり、言葉遣いのバリアフリー、使い分けなしを目指していた母です。ですから、家の中でも、いわゆる敬語を含めて、まったく親子で崩した言葉遣いはしなかったわけですね。(←ふつぅ~かもしれませんが・・)

学生時代、我が家の電話取次ぎをめぐり、お昼休みが盛り上がりました。大抵、盛り上がるという場合は面白可笑しくとりあげられるわけでして、それはどういうことかというと、(そのころはまだ黒電話で保留などありません)電話口が拾う音に耳をとぎすましていた同級生が聞いた呼びかけ言葉です。階下から2階の私の部屋へ母が呼びかけた「○○さ~ん、同級生の○○さんからお電話よぉ~。お待たせしないで、おりていらっしゃぁい」という一言。(洋館で吹き抜けなのでよく響きます)

何のことはないと思うのですが、どうやら、私の同級生の家族は親が子を呼ぶとき、名前を呼び捨てする家族が多かったようなのです。考えてみれば祖母も私が小学生になってから、さん付けで呼んでくれていましたっけ。

そして、結婚後、夫はサラリーマン生活も短く、どちらかというと言葉遣いはべらんめぃ調というか、お構いなし。おまけに仕事柄、学生を相手にすることが多く(関係ない?)「だろッ?」「○○じゃないかぁ~」という本当になんともはや・・(汗)。よくぞ、これで仕事が成り立つと思うのであります。私との会話もそのような感じが多いのでございます。まぁ、子どもたちには「○○しましょう」とか言っておりますが、所詮借り物。化けの皮なんてすぐ剥がれてしまいます。

そんな夫ですが、まだ大学生の頃、かなり親しい友人関係だったときに(←変な表現ですが)、不意に私のことを新聞紙の筒でおふざけで殴ったことがあり、その時に私が「イテっ」と小声でささやいたのを見逃さず、「イテっはないだろう!」と注意されたことがありました。それこそこちらが、メッキでございますゎね。

まぁとにかく、今は、とてもとても子どもの頃からの不文律:「うちとそととの言葉遣いのバリアフリー。家での言葉遣い=外での言葉遣い」からは程遠いわけでございます。

でも、これは大変なことだと最近考え直しております。よく、使い分けができればよいとは言いますが、咄嗟にでる言葉というのは普段のありのまま、地が出てしまうのですねぇ。ですから、今はかなりの調教が必要だと思います。

つい最近まで(気をつけねば・・)と感じていたのは、「やつ」という言葉です。これはかなりくせもので、「この間ボッテガで新作のバッグみつけたのよ?」「あら~、私も見たわ。あの赤いヤツ、いいと思わない?」と使うものです。これはかなりのマダムの間で聞く、バランスの取れていない「イテっ」に匹敵する代物です。よ~く聞いてみるとかなり蔓延しております。

昔、ある本で「○○しましょう」という語尾は優れものであると目にしたことがあります。
これは、そこかしこで使わせていただいております。この頃は、年老いた母に物申すとき、冠を曲げることのないように導きたいときも使用。「お母様、これは○○なので、こうしましょうょ」というように。

何故、こんなに長く言葉遣いのことを話しているかというと、カチンカチンときた言葉遣いをされたからです。しかも同じ百貨店のレジで、気がついてみれば同じ人からです。

一度目はおつりをいただきそこねて、帰りかけ、8歩ぐらい歩いて気がついてレジに戻りました。
「おつりおつり、お・つ・り!お客さんったら・・」という言葉は私のことだったのだと気がつきました。ふと彼女を見ると、ゆっくりと印字されているレシートを片手でひっぱりながら、次のお客さんにむかって(どうしようもないわね、まったく)というような顔(困ったというより、呆れた顔)をしていたのです。普通は「お客様ぁ~、おつりを~」ぐらいでしょう。おつりを忘れたからってどなりにいくような、つまり貴方に不利に働くわけでもないのに・・と思いながら、私は「ごめんなさい、おつりでしたわね」と。

1週間後ぐらい、同じ百貨店のレジで「紙袋に入れさせていただいて宜しいでしょうか?」と聞かれたので「(かごの中に入れたエコバッグを指し)結構ですよ、バッグを持っておりますので。何も包まなくて」と応えたところ、速攻「へッ、いらないんですかぁぉ~ぁ?」って。(なぜ「ぉ」を入れたかと言うと、一旦トーンがさがって上がった、いかにも不都合そうに・・)

おかしいナァと思って、確認すると、以前と同じかたでした。
感情丸出しのこの表現、接客業としたらバツバツです。よっぽど職場の近くのスーパーのレジのかたの対応のほうがプロです。

親しみをこめた会話(タメ口に近いもの)はそのような話ができる関係を築いた人同士ではないかぎり、あまり気持ちのよいものではありません。

人にもよりますが、今まで、とくにお役所(地方自治体から官庁まで)、高齢者関連、保健衛生関連で、「分からない人」「子ども」を扱うかのような言葉遣いをされているかたを多くみかけます。時に『私とあなたはそんな言葉遣いで話をする間柄なわけ?』と思ったりしましたが、そんなかたには、なお更、慇懃無礼なほど敬語を使いまくっちゃう私です。

そのうち私も「おばぁちゃ~ん、おつりわすれてますよぉ。気がついてよかったねぇ、エコバッグもってても、肝心なおつりはわすれないようにしようねぇ。」とヘルパーさんに言われる日がくるかもね。そうしたら「そうおっしゃるあなたはどなた?」としらばっくれちゃうゾ!

私もこれを機会に気をつけます。いかがでしょう、ご一緒に「言葉遣い」、見直してみませんか?なにより「言葉」は心や態度の表れ、人という動物に唯一与えられたものなのですから。(礼)
e0108276_9572188.jpg

浜離宮の、「の」の字を描いたような藤の木の合間から見た庭園。
[PR]
by lakeforest | 2007-11-02 09:59 | 教育

日々のできごとを、訪れた方々と分かち合えたら・・。( 本ブログの文章、データ等の無断転載、使用はおやめください。)


by lakeforest
プロフィールを見る
画像一覧