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カテゴリ:社会( 93 )

我は我、彼は彼、されど仲良く

4月から院で研究を始める。社会人であるので、夜間や土日に足を運ぶことになる。いずれ院を目指すことは10年くらい前から決めていたが、今がその時だろうと感じ、トライしてみた。

具体的に発信したいことが(散漫し)決まらなかったが、ある時、切り口が違うだけで行きつく先は同じであることに気付いた。しかしそれに気付いた後も、切り口自体が決まらなかったことは否めない。

決定打は、暴力の問題を始めとする自殺問題へ取り組み、小冊子発行に関わったことだった。

何故、自殺者が減らないのか?
数年前、素朴で大きな疑問が生まれた。

昔から決して自殺率は低くなかった。日本は長い間、思想文化の側面から「死」への美学、潔さや、宗教的にも自殺を容認する背景があったからではないか。自殺率には波があり、戦後から現在まで3回ほどピークを迎える。

敗戦からの復活は労働による国家再建、華々しい経済成長、右肩上がりの時代を迎える。国民は目標を持ち、迷うことなく、一丸となって進んでいく。

“Japan as Number One”にも語られる日本的経営(年功序列、組合、終身雇用)によって、支える基盤を得ての猛進であった。そして迎える拝金主義。個人消費による自己実現を目指す風潮がピークに達した。自己実現と自己責任の時代である。そして失われた10年へと突入する。企業倒産、リストラ・・・etc.

経済によっていのちの重さが変わるわけではない。変わってはいけないはずだ。生き方や在り方が変わっても、きちんと根が張っていれば問題ないのではないかと思えるが・・。

そして1990年以降、自殺率が急激に高くなる。
戦後の急成長で価値観や社会システムが変化していく中、補完や支え合いの形(地縁、血縁、社縁)も変化を見せる。(日本的)個人主義の台頭が社会の弊害だという考えもあるが、私自身は個人主義が悪いとは思っていない。そして今は「自己責任」を問える状態にはない。それを語るには社会保障というか、社会がそういった人たちを支える基盤が脆弱すぎやしないだろうか。

中高年男性に自殺者が多い。
最も自分から助けを求めない年代であると言われ、アウトリーチが難しいとされている。今は、その年代の家族や妻への啓発活動によって、心の病に気付くことからの取り組みが有効とされている。

女性に自殺者が少ないのは「井戸端会議」などから生まれる女性の連帯意識であると考えられないか。つまり「問題縁」の拡大版である。「あなたも私も、大なり小なり同じような悩みを抱えている」という気持ちや、どこかで「皆同じ」という意識でつながり、励まし合うような仲間作りができるのだろう。

子どもの自殺は痛ましい。子どもに責任はないからだ。
子どもを自殺させるような社会を作ってはならない。大人の責任である。

では今後どうしたらよいのか?
私たちはどのような社会にしていきたいのだろう?

「ジャパンシンドローム」「無縁社会」「孤族」。
これらの現実に立ち向かう時、経済中心ではなく、πを小さくしてでも、生きやすい、生きがいのある社会へと向かっていくことが大事ではないか。そして、そのひとつとして、この3つのキーワードには「ともにある」「ともにいる」「ともに生きる」というような人間の根本的な生きる条件の再確認の必要性があると思う。

まさしく宗教でいう、神の存在「be with you」であるが、宗教を持つ者は、すでに自分の傍にいつもいる人間を超越した存在に無条件に受け入れられている。こんなに強い支えはない。

同じ時に生きていてよかった、知り合えてよかった、互いの存在を喜びあえるそんな関係を作っていきたいものだ。そしてその小さな積み重ねがつながって、よりよい社会へとつながっていくのだろう。

そして、このように価値観が多様化した社会では、人は様々に悩み、戸惑い、傷つくことも多いだろう。現に、自分が受容されないという悩みを多く持つ人がいる。傷ついたならば、回復する機能が人間には備わっていることを知って、自分を労わり、生きる力を回復していくことも必要だ。

人はなぜ、このように苦しむのだろう?どうやったらこの苦しみから解放されるのだろう?自分には何ができるのだろう?この第2の疑問から、院での研究を始めようと思った次第だ。

冗長だが、私の単純な思考回路をツラツラと披露してしまった。というかしただけだった。
どんな時にも思い出すのだよ、急逝なさった遠藤優子先生の「我は我、彼は彼、されど仲良く」という言葉。

なんで聖書の言葉じゃないんでしょう・・・orz.
感謝。
by lakeforest | 2011-02-24 18:05 | 社会

Februarius(浄罪の月)に考える

2月に入った。
またもや伝統文化関係での不祥事。
相撲はスポーツという側面だけでは語りきれない。

歌舞伎にしても相撲にしても、伝統文化を継承し保つという側面からの(良い意味での)擁護が足りない気がする。つまり、継承者が(良い意味での)使命感と誇りを持てるような環境づくりができるような努力である。

文化継承は、しきたりの継承でもある。
目に見える形だけではなく、精神論も含めての継承であろう。価値観が多様化した現代社会においても、その世界における一種独特の価値観を保つことが必要だ。よく「時代に即して」という言葉が使われるが、どこまでどうなのか?根幹の価値観を揺るがすようなことにはなりえないだろう。

私たちも含めて、文化史や有職故実に精通した人の意見をよく聞き、伝統文化、伝統芸能を楽しむという恩恵に与りながら、継承者を見守りたいと感じている。(あらゆる意味でメディアの「見守る」という立場を侵している状態は何とかしてほしい気がする)

そのような中、今日図らずも「文化」という言葉を聴くことができた。
普段、聖書の分かちあいでお世話になっているシェガレ師が、カテドラルの「学びの会」で講演された。テーマは「福音に照らされたいのちの文化」である。

ちょうどヨハネ・パウロⅡ世による回勅「いのちの福音」を読み返していた時でもあり、足を運んだ。
まず回勅に出てくる「死の文化」と「いのちの文化」の言葉の意味、特に「いのちの文化」をどうとらえたらよいのかということが話された。

「文化」の定義が150くらいに上るというのは驚きだった。「倫理」が生命尊重の原理と規範を意識させることに対して、「文化」は心身ともに生の願望を支えるものとされ、「いのちの文化」では、いわゆる文化活動というのではなく、日々意識していない生活環境や日常的な文化を指す。

「いのちの文化」を見分けるポイントとして:
・愛の循環によって生かされている(かどうか)
・つながりを強めて、人をつなげていく(〃)
・媒介を尊重し「待つ」(〃)
・多様性を尊重する(〃)
・自然との接点を保っている(〃)
・想像を生み、感動や夢を与える(〃)  ということだった。

そして、日本のカトリック教会が貢献できそうな具体的な課題というのは目からうろこだった。
日本人の神父様ではなかなか思いつかないであろう。祝い、食、もてなし、贈り物という側面から日本の文化を取り上げられていた。本当に、いつものように神父様の視点には驚かされる。

底なしと言われるポストモダン社会に必要なひと時だった・・・感謝だ。

昨日、今日そして明日と3日連続カテドラルに出向くことになりそうだ。昨年の2月11日(世界病者の日)もみぞれ交じりだった。今年は雪に変わった。

ああそうだ、今日は祖父の命日、明日は母たちの結婚記念日である。
2月は「世界病者の日」、「祖父の命日」、「結婚記念日」、「バレンタインデー」と続く。
一足早く月初にお墓参りに行ってしまったので、すっかり今日のことを忘れていた。祖父というと相撲を思い出す。砂被りの席に座った祖父をテレビで見た時は一瞬わけがわからなかったっけ。明日は忘れないようにしよう。感謝。
by lakeforest | 2011-02-12 22:14 | 社会

New Clothes

昨晩、ある候補者と握手し、応援の声かけをしてきた。
選挙戦に入る前から、おそらく見た目5キロ以上は痩せたのではないだろうか?と思うほど、引き締まって、ポスターより実物の方がよい感じになっていた。地道な辻説法の姿を眼にしてきたし、浪人の間の様々な人との対話という貴重な機会を生かしてくれるであろうと信じており、票につながればと思う。

次の任期の間(当選したならば)に、きちんと仕事を評価し、ダメであれば違う人を選ぶしかない。所詮「人」である。自分の眼、動物的感覚で見極めるしかない。例えば、人の痛みを感じられる人なのか、わかるように説明責任を成せる人なのか・・など、直感でしかない。

当たり前であるが、国民の政治というのは、国民の反応で判断するのとは違う。
今の状況では、保守と保守の争いの域を出てはいないのだから、左だ右だとすぐに騒ぎ立てる必要性はないと感じるし、「慣れ」という言葉が「伝統」に、「新人」が「革新」にすり変わっている部分もあるのかなと思う。変えるというより、まずは換える。風を吹かすというより、風を通すことはとても大事である。

政党の政策宣言も大事だが、実質的には国家予算の配分が気になる。予算配分は、その国の思想、状態を反映するから。まぁ、基本的人権を基に、バランスの取れた(保てる)社会というのがワタクシ的には理想である。

と、ここまでツラツラ書いてきて、本当に、当たり前のことだがこれは何も選挙だけのことではないとつくづく思う。仕事や様々な活動についてもそうである。

「長年」というキャリアを積むことは大事であっても、「慣れ」というのは時として厄介である。情や依存という傾向、体質的なものが生まれてくるからだ。

そして、一部の既得権益、権力が横行したりする場合、本来は法や様々な形でバランスがとれるはずであるが、それでも水面下で起これば第三者機関などの見守りの目や、風穴がない限り、沼地化するだけだ。力を持つ者の見識が問われるが、お金がありさえすれば力を持てる時代になってしまったから、見識も何もないかもしれないし・・。自浄能力がない状態、人の意見を聴かなくなり、裸の王様へまっしぐらである。

会社であれば、人事異動があるわけで、それがなされていない組織は見直しが必要であろう。浄化作用、見守り、風穴となるものが必要であると痛切に感じる。集団思考まではいかないまでも、集団浅慮となる可能性もある。

とにもかくにも、ある種の使命感を感じながら、傲慢にならず、地道に活動、仕事をすることは尊いことだ。

あなたの周りにはいませんか?新しいものずきの王様、正直者の家来、詐欺師、「王様は裸だよ」という子ども・・・私はだれだろう・・詐欺師かも(笑)。

選挙まであと4日である。
断っておくが、冒頭に握手した候補者、残念ながら今回はまだ私の選挙区ではない。
by lakeforest | 2009-08-26 19:59 | 社会

今朝のつぶやき:他人事

渋谷の議会で、宮下公園が、ある大手外資スポーツメーカーへ貸し出しされることが決定された。そうなると、現在の路上生活、野宿者の締め出しが必須となってくる。逆に、そのために貸し出しされたのかもしれない・・・。巨額な使用料をもって、その人たちの生き場所を探してから、開発してくださいとっしか言えない。

HIV感染者、エイズ発症患者の過去最多更新を受けての厚生労働省の発表では、同性間の感染者が多いこと、若年層の感染が上の世代にも広がりつつあるというようなものだった。同性間の感染者は検査を自発的に受ける人が多いので結果が出てしまうのは当たり前のことだ。が重要な点は、検査を自発的に受けない、自覚のない潜伏感染者がいるのではないかということだ。若年層の感染が上の世代に広がりつつあるというのはどういう意味なのか?数字だけではなく、そこから読める社会の在り方をともに考えられるようにしたいものだ。

国会の決議・・知らぬ間に・・ということが多い。きっと「いや十分時間をかけて話し合ってきた」といわれるのだろう。話し合われている時点で、こんな重要なこと、なぜ報道が取り上げない?語らない?政治の在り方を考えるだけではなく、社会の在り方を国会決議にまで至る事柄とリンクして考えられる報道番組とか新聞とかないのか、マジ?私たちは日々生きている、それは当たり前だ、だがその日々のできごとによって社会を形成しているのであるから、Journalの質をあげてほしいと思う。ワタクシが知らないだけなのか?

所詮「他人(ヒト)ごと」なのかもしれない。
何か社会のことを考えると、活動家とか変わった人、特化した人とか思われるだろう。でも今の世の中、何かおかしい。いたわりあうこと、励ましあうことが他人とできない世の中になっていないか。

子どもの塾の弊害をヒシヒシと感じるこの頃。偏差値とか内申とか、数字で人を図るのは致しかたないが、数字でしか語れないところが愚かしい。幼いころから、お仕着せの基準で人を図ることをするから、生きにくい世の中になるのだろう。負け犬とかって、けんか相手の犬、周りの犬は一体どんな犬なの?!

では行ってまいります。皆さま良い一日を!
by lakeforest | 2009-06-19 07:43 | 社会

見失うのは・・

地下鉄で降りてくる人、降りてくる人、マスクをしている。う~む恐い絵だ。

ちなみに息子は、学校でいわれたのか、この3日間ばかり、1月にオペラ公演やった時に私が大量購入して余ってしまった大人用のマスクをして登校した。校帽とマスクで顔がおおわれ、マンガのキャラになりそうな風貌だった。

そして娘。
例のモギコク(模擬国連)の参加校だったこともあり、議事に参加した生徒は帰国後の自宅待機日を大幅に伸ばした旨、連絡があった。もちろん、このたびのインフルに感染した高校生の話が公になる前から、中間テスト前なので、東京都から休校通達が出ることも踏まえて、ロッカーに入っているすべての教科書を自宅に持って帰ることを言われていた。

予防と事後に備えての処方を知っておくことは大切ではあるが、健康至上主義的傾向のあるこの国。今回の学校側への誹謗中傷など、いろいろと思うところある。・・・とにかく日本のメディアょ、これに限らずしっかりと責任と自覚をもって報道活動を行ってほしい。

さてインフル報道の影に・・・裁判員制度がとうとうねぇ・・・拒否会見した人の気持ち、わかる。裁判を早めるために必要とするのは国民裁判員なのか?町の消防団とは違う。

裁判員の通知がきて、その事件に真剣に向き合って、その人自身が心の安定を保てなくなったらどうする?誠実な人であればあるほど、精神的な影響は大きいと推察する。裁判員にならざるを得なかった人が、カウンセラーを必要とする状態になったら?また身の安全のためにのがれている人はどうする?この間の定額給付金でも問題になった、暴力によって離婚できずにいる人のような例もある。

一人の人の命、人生を裁く職業には聖域にも通じるものがある。人の生き死ににかかわる職業を選ばなかった人もあるだろう。裁判員制度がどんなに裁判を早く進められ、国家予算削減に寄与しているとしても、何か違う気がする。

そんなことを考えている脇から、愚息が暗記した憲法11条から15条までを一気に大声で叫んでいた・・・暗記ができてもねぇ(笑)。

******
この頃、こんな感じでヴァーチャルレッスンしている。(私は、後半のものにAEIOUをつけて行う。)来年こそはイタリアへ!


by lakeforest | 2009-05-23 11:11 | 社会

Et tu?

何から書いていいんだか、書く気もおきないことばかり・・・迷走中、瞑想中、羊僧鼠、エイギョーチュー、もとへ。

TOKIO建築事情
お茶の水四角あたりのホールもトンデモナイことになっている。国連でのスピーチとEl Cant dels Ocellsは涙もの。彼の精神までは反映されないか・・・。何度かコンサートであちらのホールに立つ機会があったが、大学にわたってしまった時から、大丈夫だろうか・・と不安でならなかった。

私の好きな建築家の一人の作品であって、都庁のコンペ案などを見ても、コンセプト「市民が集まる大聖堂」はなかなかだったと思うし、彼の作品は「公共」の意識を新しく感じさせてくれる。もしかしたら今の都庁は、外観からも似合っている人がリーダーとして君臨してるかもしれないと思ったりして・・つまり、Isozaki氏の作品であれば、それに相応しいリーダーが座していたかもしれない。オリンピックだって然りだし、黒川氏の追悼文も陰ながら頷いて読んでいた私だ。私って言ったって、ちっぽけな都民だけど←フォント気持ち小さくしておきましたぁ。

復元されたヴォーリーズの外観設計、パイプオルガン、室内楽専用の工房的ホール、氏の作品が潰されるということか・・勘弁してくらはい。「アイディアは生き続ける」という言葉を信じるしかないか・・。

そしてOSAKA事情
世界的なレベルでカト教″会の人事的要素を含む事柄で、影響が大きい話題が渦巻いているのはご存じかと思うのですが・・・そのころ日本の教″会では・・・・逮捕者が出た・・・しかも暴力で・・・(愕)。

この件に関して、聞き伝手ならないことがあり、再び愕然とした。
「何で、警察に言(行)っちゃったかなぁ」という知人の一言だ。もちろん、私は憤慨した。「じゃぁ、どうしろと?臭いものに蓋をしろと?」つまり、警察に駆け込む前に違うところ(教会内部)に話していたら、対処の施しようがあった(丸く収まったというようなニュアンスだったため)というので、ものすごく憤慨した私だ。

社会的に罪を犯したものは償うのは当然である。それは信仰上のものとは次元が異なる。裁く、裁かないの問題ではない。でも社会的に責任をとるのは当たり前のことだ。臭いものに蓋をすることは暴力を見て見ぬふり、野放しにすることと同じなのだから、もし教会内部に通報があっても、きちんと自首してほしいと思う。そんなことを野放しにする教会は怖い。暴力は犯罪だということをしっかりと自覚してほしい。

そして「こういうことがあると、世間の人たちは面白可笑しくあげつらうし、カト教″会そのものが変に思われるのがイヤ」と続けて言った。一人の人が行った行為と切り離して考えるか、それも含めて苦しみをともにシェアするかはその人次第だと思う。いずれにしても、暴力を受けたと勇気をもって述べた女性、子どもの心身のサポートを心から望む。常習だったと思われても仕方ない状況となってしまった彼も、心から反省し、罪を償い、出直してほしい。

召命が少ないという教″会事情、失業者が増え、働きたくても働けないこのご時世、あちらこちら構造改革が必要だとしてもどこから手をつけてよいのやら・・・迷走の世の中だな・・このような時代だからこそ、大切なことを見失わないようにせねばね。

祈るしかない・・・。

El Cant dels Ocellsをどうぞ←you tubeヘ飛びます。
by lakeforest | 2009-02-05 21:34 | 社会

音楽好き小市民が体感する経済事情

渋谷のスクランブル交差点のオーロラビジョンで為替レート1ドル=88円という情報が流れた。

そういえば、このところ、海外通販をチェックすることが多くなっている私。まず、楽譜ね。

声楽を再開したころは、ソプラノとかコロラトゥーラとか、ベルカントオペラのアリアを集めた日本製の楽譜を買っていたが、いつからかオペラのヴォーカルスコア(ピアノ伴奏譜付)を買うようになった。

オペラの楽譜は1冊安くても大手Y楽器で、6,000円前後、ロッシーニに至っては10,000円ぐらいする。ところが、海外のサイトで買うと、1冊24ドル前後、そして高いのでも45ドルほどなので、郵送料込みでも1冊30ドルにはならない。

K楽器は、輸入した時期によって価格が変動するので、よく売れる楽譜は今だとお買い得ということなる。多分楽譜専門店Aもそうである。大手Yもそうなはずなのに、売れていないのか高い時のままの価格である。だから絶対にYでは買わない。でもよくY楽器店には行く。なぜなら、近くに駆け込んでもなさそうな楽譜は何かを確認するためである。

さて、3月のコンサートに向けて始動している(曲目が決まってきた)が、それよりも気になるのは秋の重唱コンサートである。先生によると、たった1回きりということで始まったはずが、ついに昨年3回目、そして今年もやることが決まっていると。

先日、先生とお酒の席で話したときに、勢いあまって(ことオペラになるとお酒の力を借りることが多いなぁ・・・)「先生、重唱コンサートの希望曲って申請できるのでしょうか?」と口火を切った。どうやらできるようであるということで、フランス語であるがトライしたい曲を申請しておいた。

以前にも紹介したと思うが、BIZETの「真珠とり」よりナディールとレイラのデュオである。フォッフォッフォッ!なんとこの私がテノールとのデュエットである。バス、バリトンじゃないわけで~~~その場にいらしたテノールのかたに「ご一緒にいかがでしょう」なんてお願いしてしまった。(you tubeヘ飛びます。←今回はイケメンテナーと韓国のソプラノ歌手バージョンでどうぞ。女性がそっけないのが気になるが・・・)。

問題はこの愛のデュオのきちんとした(読みやすい)ヴォーカルスコアがないことだ。コンプリート(オケ譜)はあるが2万円以上する。デュオのために2万円はなぁ・・・。ヴォーカルスコアではフランス語の上に英語が書かれている楽譜とイタリアとドイツ語の楽譜は見つけて、一応持ってはいる。が、フランス語版はとても読みにくい、イタリア語版はきれいだ。

し・か・も・イタリア語版は無料でダウンロードできる。
早速DLして確認してみた。意味はイタリア語のほうがわかる・・・・が、なんとなく曲調にあわない。だからやっぱりフランスオペラはフランス語に限る。

さて、この乙女チックなきれいな愛のデュオのほかには、やはりはずせないというかどーーぅしても歌ってみたいデュエットがあるッ!Macbethである。

やはりM夫妻の殺人計画、悪巧みデュエット。あぁ歌ってみたい。幻影におびえていた弱腰な夫が、魔女の予言と妻の強い支えによって立ち上がるのである。そして二人で「やる(殺す)しかない」と。最初の夫人のせっつきは、利害関係が一致したときの悪代官と悪徳商人のような感じ(笑)。(you tubeヘ飛びます。←Renato Bruson, Mara Zampieriでどうぞ。Zampieriの眼力スゴイッ!とくに1:20-2:30の高揚感を味わってくださいませ。前回の公演で、私の先生もこれに匹敵いやもしかしたらこれ以上に素晴らしかった。)

若い学生のテナーで、素晴らしい声の持ち主がいる。
彼とデュエットをしてみたい。・・・が・・・・彼は、私がもう少し早く結婚していたら自分の息子ぐらいの年齢である。(実際、私の友人の子どもたちは早い人でもう就職しているからなぁ・・・)。ソプラノとテナーは役どころから、親子というのはよほどじゃなければありえない。せめて年上の女性と若い男性的な関係で、アリアを探すしかないだろうねぇ。一つ思いつくけれど、私の実力が伴わないから・・これはかなわぬ夢として残しておこうっと♪

ということで、小市民の考える円高メリットとはこんなちっぽけな感じだが、やはり不況なんだなぁ・・・3月27日のトスカ、スロヴェニア国立歌劇が破産申請とかで、チケットが払い戻しになってしまった(涙)。昨日もクローズアップ現代でMETを特集していましたが、こんなところにしわ寄せがねぇ。昔は小市民の心を動かす社会運動的なムーヴメントに力を発揮した総合芸術でもあったオペラもいつのまにか形を変え・・・経済不況の余波がこんなところにまでとは。
by lakeforest | 2009-01-27 19:55 | 社会

来年に向けて

1日、1日・・・いや1時間・・30分と、大切に感じる時間の値が短くなってきている気がする。つまり、何かに追い立てられているに違いない。それとも年齢なのだろうか?

今日は仕事収めであった。
あれやこれや、なにやかやと仕上げなければならないこと、1年の終わりに確認しておかなくてはならないことがあるのだが、お昼過ぎには「まだ11月。これからクリスマスがくる感覚」とボソっと言った職員がいた。私も内心そう感じた。

今年はアッという間の「アッ」の時間が短い。4分音符から8分音符を通り越して16分音符に近い感じだな。

Reviewをしてみると、昨年のように出張はな(いに等し)かったし、新しいことを何か始めたわけでもないのだが・・・。まぁ、来年3月に家外活動でのいくつかのお役目が終わるので、4月から仕事と歌の2本立てでいけるはずである。

さて、職場帰りに同僚から、自分の今年を一言で表すとどんな年?と言われた。清水寺で書かれた今年の世相を現す一文字は「変」。変化、変革という意味とおかしいという意味もある。一文字じゃなくて良いからと言われてしばし考える・・・「動」という文字が浮かんだ。動く、感動、協働、変動・・つまり、自分の思っていることを素直に、かつ具体的に身体で表現できた年であったと感じた。

来年は「越える」が目標のような、自分の心がけとしてその言葉を念頭に置こうと思う。様々な意味で垣根を越える、つらいことでも、自分の殻に閉じこもらず、打ち破り乗り越えていく姿勢であろう。

来年前半からあらゆる面で大変かもしれない。
1月マクベス、3月は歌を通してのチャリティ活動を始動し、2回歌の集いを行う。仕事も1月、2月、3月と山盛り。家外活動は、3月をもって役目を終えるものがあり、その残務に追われるであろう。もう今の時点で来年の四分の一の忙しさは予測がつく。

昨日のクリスマスに、参議院会館で自殺対策の緊急集会が開かれたので参加した。
様々な活動家が集まった。2008年3月の決算期を控えて、経済的理由から大切な命を失うことのないように動いていく決意をあらたにした形である。

バブルのときは、浮き足立ったところから転落したというイメージだったが、今は違う。霧の中を慎重に歩いていたら、いつのまにか、穴ぼこだらけのつり橋の上を歩いているというイメージである。特に派手もせず、より慎重に生きていたものであっても、先が見えないという状態ではないか。

昨日の会議では、緊急支援策5項目についての決議がなされたが、自治体の取り組みについては幅広い意見が出た。自治体だけではなく、企業としての取り組み、コンプライアンスを入れた方が良いとか、役所仕事を24時間にするのは無理ではないかとか、現場のかたがたの声というのは頼もしい。行政機関が、上からの命令だから動くという請負意識を持っては、動かないも同然という意見はよく理解できる。所詮は人と人とのつながりの中で大事なものが育っていく、生きる勇気をもらうということになる。反面「福祉的」な考えでいけば、社会保障、セイフティネットの意味でも、自治体に対策室を置くことは(動く動かないは別として)私自身は反対ではない。

いずれにしても、来年は「越える」という気持ちで前進していけたらと感じる。皆様のこの1年はどんな1年でしたか?しばし振り返る時間を作り、来年に向けての豊富も考えてみましょうょ。
by lakeforest | 2008-12-26 23:24 | 社会

講話に思う

雇用者削減のニュース満載である。恐ろしい。

WHOのシンポで言われていたが、自殺を語るには放っておけない大事な数字が二つあるという。「98.3」と「72」である。お分かりであろうか?

「98.3」とは、’98年3月を指す。この時期をさかいに自殺者が急増した。証券会社、銀行までもが倒産し、バブル崩壊の決算期であった。

そして「72」とは、自殺者の72%が、死ぬ間際まで何らかの相談に行っていたという相談率の数値である。つまり自殺者の72%のかたが、死ぬ間際まで何らかの相談を求めていたのである。この数値は「何とかして生きたい」と感じていたということを反映する数値ともいえよう。

「98.3」が「08・3」にならないように心から願っている。
死者が3万人を上回った、下回ったなど、死者の数を増減で示すことはどうなのだろう?と感じる。例えば3万人をきって2万人になったとしても、3万人が生き返るわけではないのだから、1万人減ったというよりは、2万人増えたというのが現実である。

さて先日、娘の学校で、学校長による宗教教育についての講話があった。私の職場には、同じ出身校の卒業生が何名かおり、皆その学校長と何らかの関わりがある。例えば、卒業時の校長であったり、私などは米国姉妹校の教師を日本にお連れしたときにお会いしてお話したのがきっかけで、同窓会活動を通して、また今は娘の学校でとお世話になっている。(と横道にそれたが)

その講話で「世界の貧困」と「3万人の自殺者がでる日本社会」について語られた。そういう世界を作っている私たち、そしてそういう社会生きている私たちの行動選択など・・・まさか宗教教育の話の場で、そのようなことが具体的に出るとは思わなかった。と同時に、私たち全員が少なくともその二つの命題に関わっていることに気づいた。これは偶然とはいえないのではないかと感じる。このパワフルな学校長から、皆とても大きなエールをもらっているに違いない。今回の講話でも、言葉より行動を・・と話していたし、「関わり」能力を高めることの重要性についても言及した。私たちが大勢の中で何となく共通のものを感じて、ともに働けることへの心強さに感謝したい。

山谷や依存症についても触れていた。
私自身が山谷で活動している中で、今年珍しいことが起こった。以前にも書いたかもしれないが、高齢化が進む中で、10代の女の子が施設を訪れ、入所したことである。

昨年まで売り手市場(このような言い方は好きではないが)だった大学生の就職だが、一変して大変な状況だ。未来ある若者、次の世代を担う若者に希望の道を与えられないこの社会。何かおかしい。

米国が長い共和党政治から変わる。日本がいつまでも翻弄されることなく、日本らしさをめざし、自国に目を向けて考えていく良い時期ではないか。

何より「人」を大切にする社会でありたい。まずはそこからだ。社会保障制度にしても、経済、政治、全てにおいて、人を数値に置き換えて考える社会をもう一度見つめなおしていくことが大切であると、このごろのニュースを見てしみじみ思う。今日も夜風が肌を切るような冷たさだ。路上死者も出してはならないだろう・・・。
by lakeforest | 2008-12-18 21:19 | 社会

生きる

12月1日は「世界AIDS DAY」でもあり、「いのちの日」でもあります。

先日、具体的に自殺支援対策活動を行っているNPO代表のかたに講演をお願いしました。

そのかたとは何の面識もなく、新聞記事、テレビなどで拝察する程度でしたが、先日拙ブログでもエントリーしたWHOの自殺防止シンポジウムに足を運び、是非ともお話をしていただきたいとの思いでいっぱいでした。お願いしましたら、大変快くお引き受け下さり、お会いして具体的な話の内容をつめたのですが、講演当日、レジュメから離れたお話となりました。

彼が、NHK(クローズアップ現代、おはよう日本などを担当ディレクター)を辞め、今のNPOを立ち上げる経過を話してくださっているうちに、遺族のかたがたとの出会いに話がフォーカスしていきました。その話がとても素晴らしいものでした。(もちろん今の活動も素晴らしいですが・・)

自殺は「困窮死」と言ったほうがよいのではないか・・・これは以前にもお話ししたことです。自死遺族のかたがたへの聞き取り調査、自殺実態白書を作成しているうちにわかってきたこともお話くださいました。

ごくごく個人的な人間関係の躓きやきっかけから、その人がとりまく環境の中で様々な生き難い要因が絡み合い、最終的にはうつ病となり、死を選ばざるを得なくなるという図式が(全てではないですが)わかってきました。また、死に至る理由が地域特性として表れてきたということです。

また、ご本人は死に至る直前まで「生きたい」と思っていたということ、遺族のかたは「こんなに近くにいて、どうして気づかなかったのだろう」と自責の念にかられていること、また親族や親しい人から「何で、気づかなかったの?」と言われ心を痛めていることなどがわかりました。そして特に、親を自殺で亡くしたとは言えないという悩みを抱えて生きている子どもたちが実に多いこともわかったのです。

今日12月1日(「いのちの日」)に、そのNPOのかたがたが「生きる支援の総合検索サイト」つまり「生きる」ために、今ある具体的な悩みを解決の糸口となるような窓口を検索できるデータベースの立ち上げをしました。私たちは具体的な支援活動はできなくても(もう行っているかたもいらっしゃるでしょうが)、このデータベースによって命をつなぐ情報の引き出しを増やすことができるであろうと思います。知っておくと良いと思います。

講演では、東京都の自殺支援対策について触れられましたが、皆様は東京都が何百億という予算で支援対策を行っていることをご存知でしょうか?また、ご自分の自治体の対策をご存知でしょうか?残念ながら、実質的には、本当に必要とされている人にむすびついていないのが実態ではないかと思います。

そして最後に、カトリック教会では、先日長崎にて188人の殉教者の列福式が行われました。
そのミサの説教の最後に、白柳枢機卿様が以下のような言葉を投げかけていらっしゃいましたのでご紹介します。

「殉教者は呼びかけています。毎年3万人以上の自殺者が出る日本の社会に呼びかけています。生きるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか、人間は何のために生きるのか、人生の目的、意義とは何か、苦しみに意味があるのかなどの人生の根本問題について深く考えるよう求めています。-略-なかでも人間の生きる権利が胎児のときから死にいたるまで大切にされること。武器への製造、売買、それを使っての殺人行為である戦争。極度の貧富の差により非人間的生活を余儀なくされている者たちへの配慮など、すべての人が大切にされ、尊敬され、人間らしくいきられる世界となるよう祈り、活動することを求めているに違いありません。

さあ皆さん、怖れずに歩み、一緒になって進みましょう。怖れるな、怖れるなと神様がそして殉教者が呼びかけています。皆さん怖れるな。」

一緒になって進む・・・向き合あったあとは、自分の位置を変える・・そう、互いに寄り添うように一緒に歩む。そんなことをこの「いのちの日」に感じました。私も、たまには真剣に考えることもあるのです。だからこれから一緒に前を向いていきたいと思っています(礼)。

NPO自殺対策支援センターライフリンクのアドレスは次のとおりです。http://www.lifelink.or.jp/hp/top.html こちらにデータベースがあります。
by lakeforest | 2008-12-01 19:22 | 社会

日々のできごとを、訪れた方々と分かち合えたら・・。( 本ブログの文章、データ等の無断転載、使用はおやめください。)


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