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コーラス

久々に(汗)コーラスの練習に出た。11月のコンサートで歌う曲は「キャロルの祭典」ではなくなっており(汗2)聖歌を中心とした曲となっていた。

指導の先生は、表現力が豊かである。ピアノ科卒業で声楽出身ではないとご遠慮なさっていたが、合唱の指揮、指導はとくに専科とか、指揮法を教わっているいないは関係ナイと個人的には思う。

コーラスでなければこんなに聖歌を感情こめて歌うこともない。私自身は、歌を練習するとき、メロディだけではなく歌詞をしっかりと読みこむ。

どれどれっと、新垣先生の曲が何曲か入っている。ごら鳥、マラナ・タ・・など。カトリック東京教区ニュースに新垣先生の記事を見つけた。「・・・現代の聖書の理解に基づいたテーマを用いて作曲されている 「ごらんよ空の鳥」 や 「キリストはぶどうの木」、 「マラナタ」 などのように歌詞の意味を大切にするべきだと考えています。 教会の典礼で用いられる歌は、 単に 「美しい」 という点からみるものではない。 言いかえれば、 賛歌そのものは、 共同体かつ信者一人ひとりの信仰告白を表わすものである、 ということが意識されるべきでしょう」 とおっしゃっている。確かに。

さて、そのマラナ・タ・・そう黙示録の最後の言葉(22:20)。
マラナ・タは、ある時まで、マぁ~ラナタぁ、マぁ~ラナタぁと歌っていたが、ある神学生のかたが「主よ、きてください」という御言葉が好きということで、叙階式に歌うことになり、マラナ・タの意味を調べたことがある。改めてヘブライ語(アラム語)の意味を記す。

Maran 「私たちの主」+Atha 「来た」(動詞完了形)
「私たちの主は(すでに)来たり給うた」(信仰表明)。

Marana 「私たちの主」+Tha 「来い、来たり給え」(動詞命令形)
「私たちの主よ、来たり給え」(祈り、願望)  

二つの解釈がある。が、2番目の意味であろう。つまり、主よ、来てください、主の御国がきますようにと3回祈りが続く。そんな気持ちを丁寧に歌えたらと感じる。

次に、ごら鳥(ごらんよの空の鳥)だが、教会で歌うのと違う。消化不良。ダルセーニョで、セーニョに戻り、複縦線で歌が終わってしまう。つまり、「友よ、友よ今日も~」を1回しか歌わず、「~父がいる」で終了・・・・へッ?複縦線にはフェルマータやFineが付いていないのだが、終わってしまう。どう捉えたらいいのだろう?消化不良だぁぁぁぁ・・・。

友人とも話したのだが、やはりコーラスは楽しいけれどストレスの元にもなりかねないと。声が大きい私にとり、皆の声にあわせ、なおかつピアニッシモとなると、お腹がつらい。または、可愛い声をだすように喉で調節するという怖いことになりかねない。コンサートは、他のスケジュールの都合ということで出演を見合わせた。

3月まで発声練習のリードはきちんと行おうと思う。そしてコンサートでは、皆さんの天使のような声を、客席から聞かせていただこうと思っている。
by lakeforest | 2008-10-07 18:23 | 音楽

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