講座の有用性

先月、研修でassertionの講座に参加した。「心身の健康」これは大切なことだ。今でこそ、心のケアとか、うつ病とか、クローズアップされているが、心と身体の一体?関係は、はるか昔(少なくともJuvenalis:ユウェナリスの時代)から言われてきた。

職場環境の改善やワークライフバランス(仕事と生活の調和:この背景についてはまたまた逆さめがね的見方があるが・・)など、企業もろとも取り組む。(日本は高度成長期以降、企業が一つの社会包摂の担保となり、共同体とみなされてきたからだといえよう。そういえば、WHOの第4回自殺予防シンポと同会場の別の場所でワークライフバランスについての会場があったのは偶然にしても必然のように思えた)

要は「心地良い職場環境づくり」を一人ひとりが自分を尊重しながら進めていこうということ。でも、自分を尊重することが相手をも尊重することにならなければ意味がない。講座では、assertionの歴史(行動療法→差別撤廃運動)から始まり、コミュニケーションスキル(相手を尊重しながら自己表現をしていくにはどうしたら良いのかという)の導入部分までだった。講座は(不謹慎かもしれないが)面白かった。何より、講座を担当して下さったカウンセラーのかたの語り口がNHKのUDOHアナウンサーに似ていて、はきはきと明るい。

私自身は営利企業に勤めた経験はわずか数年しかない。あとは在日国際機関や公益法人だ。公益法人での勤務は、意識やモラルの高さをより要求されると個人的には思っている。自主規制も必要だ。ただ窮屈だというのではなく、規制の中でこそ工夫が生まれ、創意を得られるととらえ、自分自身は仕事をさせてもらえるという存在を充分に慈しみ、使命感をもって働くことができればいいと感じている。

とにかく相手の尊重は頭の上ではわかっていても、assertionは、自分の存在、居場所があることが第一条件ではないかと感じる。職場においては、自分にとっても職場や任務に関係する人々にとっても、自分の働きや存在が必要なものと感じられて初めて土台にのるわけである。その土台に揺らぎがあれば、assertion講座を受けても仮面状態の職場環境になりかねない。

さて、友人の職場の机上にエニアグラムの本が置いてあった。様々な相談の電話等がかかってくる事務所だということで、勉強のために読んでいるとのことだった。自己理解と自己受容から相互尊重へということでは同じ路線にあると思われる。自分を見つめる、自分を見つめ直すことに変わりはない。みんな努力しているんだなぁ・・。

私自身はコミュニケーション下手なほうだ。そして嫌なことに、割と自尊心が高い方だと思う。若いころは、人の言葉によって傷ついたことが沢山あった。逆に人を傷つけてきたことも多かったと思う。今はどうだろう?少しは学習したかもしれない。

最近、子どもたちにカチンとくることがある。親に対して限りないタメ口で端的に言ってのける。これってどうよの世界である。これは私の思い描いていた世界じゃナァーイ。私が子どもたちに丁寧語を使い、言葉を選びながら話し、子どもたちが私にタメ口とは・・・ため息。

そもそも、日本語の言葉遣いは、その人の立場を明確にするもの。人権意識が高いのか低いのかわからん。充分に自分を解放していると見られる子どもたち。やはりassertionが必要なのはやっぱり私なのか?でも、社会に出たら荒波がまっているからね。その時に自己を見つめたくなったら、何が薦められるか、親としてしっかりと学習しておこう。
by lakeforest | 2008-10-05 13:10 | 雑感

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