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生きごこちを考える

セーフ・コミュニティの取り組みをしているかたのお話を聴く機会があった。その取り組みとは、スウェーデンとWHO地域の安全向上のための協働センター(WHO Collaborating Centre on Community Safty Promotion)が主体の推進活動に基づくものであって、日本でこの認定を受けているコミュニティは、現在では1市(亀岡)のみである。

まず、認定を受けるには、以下の6点の指針をクリアすることが必要である。
1.そのコミュニティのなかに、セクションの垣根を越えて安全推進のための協力と協働ができる基盤(組織や施設)があること。
2.全ての性別、年齢、環境を包含する、長期的で持続可能なプログラムを実施すること。
3.ハイ・リスク(この場合、病気になりやすいと訳した方がよいか?)グループや環境に焦点を当てたプログラム、及び社会的弱者のために安全を推進するプログラムを実施すること。
4.傷害が発生する頻度とその原因を記録するプログラムがあること。
5.プログラム、プロセス、そして変化による影響をチェックするための評価基準があること。
6.国内及び国際的なセーフ・コミュニティのネットワークへ継続的に参加すること。

人々の健康、安全性を保つ環境づくりを考えることが、「コミュニティ」を考えることにつながることは素晴らしい。自分たちの手で、自分たちの地域を住み易い、心地良い、安全で安心して生きられる地域社会を作る・・・。

昔はコミュニティが自分たちの手に、もっと身近にあった気がする。ところが何時からかわってしまったのだろう。上から下へという行政目線、制度となってしまった。それぞれの立場の視点、目線を尊重して協働できることから遠ざかってしまっている。そういう意味で、この推進活動はある種有効な手立てかもしれない・・・コミュニティという概念が諸外国と違うことが気になるが・・・ボソッ。

1のセクションの垣根を越えた組織作りなどは、縦割り制度の変革につながると思われるし、それは2の全ての性別、年齢、環境、状況をカバーするというところにもつながる。図式化のイメージとしては、○で描かれる集合図とか、ウィーヴィングに近い。

何を真ん中に置くのか、また、何をコアとするのかが重要であろうが、それは「コミュニティ」を形成する「一人ひとりの命・存在」であるのが大前提ではないか。

さて昨日は、自殺防止シンポジウムに参加した。
トーキングセッション前半では、姜尚中氏、宮台真司氏が登壇者となって話をされた。

姜氏が「自殺」というネーミングは誤解を招く(自ら死を選んだといような)、「困窮死」(様々な要因から追い詰められ、追いやられて、生きたかったにもかかわらず死なざるを得なかった)というのが実状ではないか。また、宮台氏も、どうして借金、病気というようような要因で死ななくてはならなかったのか、そうであっても生きられる社会になっていないという切り口から語られ始めた。

ご存知のとおり、日本では自死者がこの10年以上30,000人を超えている。省庁などで棒グラフで発表されているが、自死者が生き返るわけではないので、やはり数字をみるならば、累計で考えていくことも必要ではないかと感じる。つまり10年で30万人が「死」に追いやられたということになる。(自死家族は10年で3百万人と言われている)。

当然ながら、社会的包摂つまりsocial inclusionという言葉が何度も出てきた。この概念については、EUのそれと比較するも、基本は「当事者主体、当事者目線」という考えで進めていくことのできる社会であってほしいと感じる。新保守主義、規制緩和など、経済、政治の側面からも語られた。

話はそれるが、個人的に大変興味があったのは、主催者のNPOの取り組みについてであった。NPOがどこまで政治と関わるのか・・・この問題は主催者も模索している感覚を得た。個人の尊厳に関わる問題が社会そのものを問うことになる。当然、NPOなりNGOが社会の問題を扱う限り、社会を動かすムーヴメントをどのように作っていくのかという活動の本質をも考えていくことになるであろう。ある種の矛盾を抱え、感じながら活動をしているのではないか・・・と不遜にも感じた次第である。

帰路、自分の街が「お祭り」であったことを思い出した。デパートの軒先を借りて御神輿が置かれ、その横に長老たちがずらりと並んでいる姿を遠目に帰ってきた。
by lakeforest | 2008-09-15 07:56 | 社会

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