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めがね

早朝に放送局の自己検証型というか番組向上のための討論会を放送している。今朝、中学生の子どもたちが意見を言っていた。不思議な光景。

バラエティ番組での食べ物の扱いかた、性的表現(Hな表現と言っていた)、罰ゲームについて意見を述べる。公共放送で子どもにそんなことを発言させるというか放映するのか・・。

食べ物の扱いについては「自給率が低い日本。輸入している貴重な食物を無碍に扱うのは止めてほしい」とか、「大食い人の胃袋は普通の人とは違うのだから、敢えて大切な食べ物を浪費し、競争させるようなことはいかがなものか」とか全うな意見。性的表現については二分した。「家族と見る時間帯に、バツが悪くなる(顔をあげれらない雰囲気)ので止めて欲しい」という意見と「生身の人間だからしょうがないが限度をわきまえよ」などという意見。

それに対しての大人のコメントが・・・大食いの人の中でも、ある女性はきれいに食べているから人気なのであって、食べ方にもよるのではないか、その辺に注意したい。性的表現は、その時の家族との雰囲気もコミュにケーションの一つである、生身の人間だからしょうがないという意見が真っ当だと。あくまでも「表現の自由」の強調である。

どういうコンセプトなんだろう?朝から見なければよかったと思いつつ、最後にまともな大人らしい意見が出た。この国のテレビは一方的に流しっぱなし、与えっぱなしでお茶の間とともにあった。諸外国では今日話された問題には厳しい基準や規制を設けている国もある。日本は見直しをしないままここまできた。その影響は多大であるし、放送のあり方を考えなくてはならないと(←多分)。

何度も、耳だこで失礼する。
メディアのなかでも公共放送の役割と影響は多大である。このことを言い出すと、世の中のしくみ、社会構造、概念などを掘り下げていかなければならないが、応急処置的に考えるならば、ジャーナリズム、メディアに関わる人(技術者含めて)は、しかるべき機関(これも定かではない)で一定の放送倫理に関わる認定単位を取ることを課する必要性があると思う。

視聴率という「大衆の好み」と「道徳倫理」。自由と規制の中で、自己責任というか各自の自律心でバランスを保てといいたいのだろうが、視覚と聴覚を通して一方的に、しかも各世帯に広範囲(普及率95%)に流されるテレビ。その分規制が大きくて当たり前だろう。一般ウケすることが番組向上にはならないし、さらに創造という意味で、新しい世の中の流れを良くも悪くも作り上げてしまう力をもっている。

玉音放送からお茶の間へ。お茶の間という言葉も死語になりつつある。
皆が集う場所の中にあったテレビ。娯楽という要素で支えられてきた部分は大きい。

数年前に、メディア規制法案のことで盛り上がったが、唯一、青少年有害社会環境対策基本法案が見送られたと記憶している。表現の自由という観点で論争が高まったかと思うが、聴視者の自主規制が最も課せられるインターネットとテレビに関しては、読み物以上に青少年への対策が必要であると思う。「表現の自由」の優先が10年、20年先のこの国のあり方にどう影響を及ぼすのか、見守れる範囲で見ていかなくてはならない。今朝の番組をチラミして思ったことである。早朝めがねを忘れてリビングに入ったため、ラジオ放送的になっていたことが良かったのか悪かったのか・・・。
by lakeforest | 2008-04-05 09:43 | 価値観

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