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何をか語らん

今日は予期せぬことで仕事を休み自宅におりました。
テレビでは横綱とボクサーの同日謝罪会見のことで持ちきりで、私としては(大変失礼ながら)同じ土俵にあげるのはどんなものょ・・と。相撲は神事がルーツであります。それにしても「品格」をどう考えるかとの問いに答えられなかった(これは日本人でも答えるのは難しい)横綱の会見の翌日に、引退勧告を一掃し、「抜群の品格」と太鼓判の横審。これぞ横綱と認めた横審なのだから今更、太鼓判押す必要性があったのかどうか・・・。このことで「かわいがり」の一件が霞むことのないようにお願い致します。

・・とこんなことを書くつもりではなくて。
そんなテレビを横目に先日他界した叔父の追悼文が、とある会報に掲載されるということで、送られてきた元原稿を夫が見せてくれました。

華厳病重症患者だった・・・その記述を前に、私たち夫婦は不謹慎にも(突飛押しもない情報を疑うと同時に)笑い飛ばしてしまいました。そのかたたちの情報は正しいのか・・。よく読み進めていくと、学生時代『華厳の滝から飛び降りたら本当に死ぬのか』という疑問を夜通し物理的に解き明かし結論づけた(その頃はまだ理系だったので)のち、『華厳の滝に行き、茶屋で一服していたら警察の人に捕まり、思いとどまるよう説得された』という2ヶ所のくだりが基の話しでした。

e0108276_1835302.jpg理系から文系に専攻を変え、文学に傾倒していた故人。夫は形見として本棚にあったスタンダールの赤と黒の原書を譲り受けるのが希望であり、それらの本が近頃手元に届きました。ユーモアあふれシニカルな人でしたし、私たち夫婦の見解は、彼が華厳の滝に行ったのは飛び降りにいったのではなく、その場に行くことに意味を見出したからではないかと思いました。自分の生涯を自ら終焉に導こうとする彼が、茶屋で一服するだろうか・・もしかしたら、茶屋で一服して警察の人に説得される・・その行為を体験することに意味があったのではないだろうかとも。

追悼というのは、かなり親しい友人が書くならわかります。でも大変申し訳ないのですが、その方々と故人があまり深い接点がないことが気になりました。葬儀の席上でもどちらかというと教え子のかたのお別れの言葉は故人の味が充分に感じられ、情景が思い浮かべられる心あたたまるものだったと今更ながら思い出しました。大変申し訳ないのですが・・・。

ところで、この追悼文原稿を読む前、私は中央公論社から出ている「日本の詩歌」23巻(中原中也、伊東静雄、八木重吉)を読んでいる最中でした。これを読むきっかけとなったのが、11月最後の土曜日に子どもたちと夫が行った鎌倉の秋の文学スタンプラリーです。

鎌倉の文学に関係のある6箇所をめぐりスタンプを押すのですが、最終目的地の鎌倉文学館で押したスタンプの数によって景品がもらえます。もちろん三人とも1等賞(6箇所全部)なのですが、皆同じものより別の物がいいと1,2,3等の景品をもらえないか交渉したところ、渋々承諾して頂いたとのこと・・。

ところが、係のかたが景品を渡すまえに「本当に3等賞でいいんですか?1等賞とは格段の差でたいしたものじゃないですよ」「ええ」「じゃぁ、はい」・・と手渡されたものは中原中也のサーカスの詩が書いてあるハガキでした。夫は「これいい景品じゃないですか!今年、ここに来た意味(中也生誕100年)のある景品ですょ」と喜んで頂いて帰ってまいりました。

ということで、久々に中原中也の詩を読もうと古い本を取り出してきました。
その最中で、前述の光景が繰り広げられたわけです。そして、その直前、八木重吉の詩「人を殺さば」を読み、その解釈論に目を通し、異議有りと感じた自分と重ね合わせていました。

「人を殺さば」
ぐさり!と やってみたし
人をころさば こころよからん

皆様はどう感じられますでしょうか。
中原中也の習作短歌「人みなを殺してみたき我が心その心我に神を示せり」と比較されるこの詩ですが、私は真っ先にキリストの磔刑のシーンを思い浮かべた次第です。それでも・・・私もまた、八木重吉の・・何をか語らん。

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東大キャンパスの片隅につながれた子犬。人が通るとク~ン、ク~ンと・・・。
by lakeforest | 2007-12-03 18:44 | 雑感

日々のできごとを、訪れた方々と分かち合えたら・・。( 本ブログの文章、データ等の無断転載、使用はおやめください。)


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