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kairos(収穫のとき)

昨日、聖堂を見渡すと、ガ~ラガラ・・・朝ミサほどの人数?
どうしたんだろう?
近くのおばさまにささやくような声で「今日は皆様出足が遅いようですわね」と。「あら、そう?いつもこのようなものょ」(汗)

そこへ友人が来ました。
「ねぇ、とっても少ないわね」「本当、どうしたのかしら?」大事な用を思い出し「○○さんはいらっしゃってますか?」と他のかたに伺うと「今日は合同堅信式ですから、終わってからこちらに戻られるのでは?」

『合同堅信式!』・・そうだったッ!・・同級生が堅信を受ける日だった・・ッ(汗)
先月は仕事などで朝ミサとか地方に行っていてまったく情報が入ってこなかったとはいえ、いやはやまったくどうしたものか。堅信式はとなり町の教会で30分後に始まります・・今から駆けつければ充分間に合います。

でも、今回はミサ後の「聖書の集い」(私たち有志が立ち上げた月1回開催の集い)があり、コーディネーターを任されています。

気落ち・・・でも、同じ空の下です。堅信を受けられるかたにとって、信仰を生き直す(←勝手な解釈)第2のスタートが素晴らしいものであることを心をこめて祈ろうと思い直して、聖堂に戻りました。

カトリックではこの日を「世界宣教の日」と定めておりまして、このミサも祈りも献金もそのために捧げられます。お説教もミヤンマーの出来事、叫び、祈り、連帯・・など話されました。

そして、聖書の集いです。
マルコ福音書を年間通して進めていますが、今回は11章27節から12章12節。信徒同士間で分かち合いを行い、最後に神父様から聖書解釈、質問などを伺う時間を設けています。

分かち合いというのは、個々の聖書解釈を分かち合う場ではなく、聖書を読み、それぞれのかたが感じたことを祈りをもって共有しあう場、それぞれに感じたことが一つにつながり、つながれているイメージです。指導者はいません。しかし、分かち合いを終え、最後の神父様のお話の時間(15分程度)では、聖書解釈を伺い、聖書の読み方をリードしていただく時間で、大変充実していて、私としてはワンポイントレッスン付き分かち合いの素晴らしさを感じています。

今回の箇所の神父様とのお話では、最高法院の人々との争い、ぶどう園のたとえから、「宣教」について深く触れることになりました。まさに開眼!

聖書を読み、現実に立ち返ると思うことがあります。
なんと壮大な世界のちっぽけな私と。でも、ここで自分は無力だと感じてはなりません。無力じゃない微力なんだ・・精一杯微力を尽くす・・そんな気持ちでまた出発です。

私も今日、堅信を受けた友と同じ(笑)。感謝。
by lakeforest | 2007-10-22 05:22 | 価値観

日々のできごとを、訪れた方々と分かち合えたら・・。( 本ブログの文章、データ等の無断転載、使用はおやめください。)


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