実践へ

今日は土曜日・・・な・の・に・・・二つの大きな会議が控えておりました。

一つは、同窓会の福祉活動についてです。
活動の一つとして日本語教師養成講座を主催しているのですが、今後の課題と見直しすべき事柄について話し合いました。個人的には、日本語使用の必要を迫られている人は誰なのか、私たちは誰に必要とされているのか、誰にお教えすべきなのか・・を確認したことは意義深かったと思います。お金と時間のあるかたはカルチャースクールやしかるべき機関で日本語を学ぶことができますが、この講座修了者(私も含めて)はそういうところに通えない人々のために・・と感じた次第です。

もう一つは、エキュメニカルな福祉関係の会議です。
来年3月の大会テーマを検討しました。『私達は隣人となりえているのか・・・』そのような視点から考える。上からでも中くらいからでもなく、とことん弱く追い込まれている人の立場から世の中を見据えることの重要性について話し合いました。

昨晩、高校の時の倫理社会のノートが出てきました。
授業1回ごとに、その授業内容の要約と意見や感想を書いて先生に提出していたようです。その意見、感想が恥ずかしくて読んでいられませんでした。どうやら、私は「死生感」「死ぬ権利」についての単元に興味があったらしく、早くその授業内容に入りたい・・と。肝心なその授業内容は把握すらしていなかったのではないかと思えるようなコメントだらけでした。

結婚して親戚となった文化人類学者の本が、当時の課題必読書として選ばれていました。
恥ずかしくて感想なんか読んでられない・・・。フーバー、ガルディーニ、島崎敏樹の「我」の説明なんぞ、プーリーみたいな図が並んでいたりしていますし、フーバーとフロムの「愛」については、どうやらフロムの考え方が好きだし分かりやすいなんて、大そうな事書いちゃっています(汗)。

しかも、この広場の名前FILIAについて、プラトンのシンポジウム(饗宴)に出てくると再認。とにかく、昔は先生方がかなり高度な話をして下さったようですが、肝心な私の知能と感性がついていかなかったことがわかります。

それと同じように、福祉も、理論だけではなく、実践によって示していくことが大切で、なおかつこのごろの福祉業界の抱える問題点は、やはり本当に助けを必要としている人の目線に立てていないことではないかと思っています。

政治経済に大きく関わる福祉問題、範囲は広大ですが、抱えている問題を突き詰めると同じことであると気づかされます。これも複合汚染の一つの要素なのだろうと考えます。

それにしても、なんでフロムの「愛」・・・なんだろう。
残念ながら、哲学書を読む気力はないのですよね。哲学から公共哲学へ、机上の論理に終わらせず、横断的に取り組むことによって社会を変革する力となっていくのではないか。

おとといから、渋谷の地下街に寝ている男性が一人増えました。今日は雑踏の中、道路に横たわっていました。誰も、声をかけるでもなく、生きているかどうかさえも確認する目線すら配らず、独特な臭いに離れて歩いていきます。そういう私はどうしたのか・・・善いサマリア人とは誰なんだ・・・机上の論理では片付くまい。
by lakeforest | 2007-07-07 21:53 | 雑感

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