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今朝、「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)のことが、夫婦の話題にあがりました。家人の「もともとあった捨て子(病院の前などにそっと子どもを置いていく)の慣習を公に認め、公に知れわたらせるとはこれ如何に。」「なぜ、このことを新聞で取り上げて、テレビで取り上げていないのか。」という疑問を契機に会話が繰り広げられました。

当該病院長はこのゆりかごを設置する経緯を語る際に、「命の尊厳」に言及しています。その言葉、思いどおり、医療を通して、地域に密着した実に様々な取組を行っていることがHPからも伺い知ることができます。

もともとは、ジャン・マリーコール神父とマリアの宣教者フランシスコ修道会が創立した病院(その当時、ハンセン病施設も創設している)であり、経営基盤が変わっても、基本的なスピリット、理念は変わらないと思われます。

捨て子の助長、養育権を放棄する親の問題、様々な意見があると思いますが、私は個人的には賛成です。公になって多いに論議することも大切であると思います。

家人は、堕胎を認めることと同じように、子どもを置き去りにすることを認める危険性、公にすることの意味について様々な疑問を投げかけてきました。

私は、命はどんな状況にあっても宿した瞬間から人としての歩みを始めるものであるのだから、堕胎には反対であること、また堕胎できず、育てられない様々な事情があっても、捨てて死なせるよりは救う努力を行うことが大切ではないのかと答えました。

私のすきのない(というか、ゆらがない)答えが気に入らないらしく、家人は、自分のように愚民の一人として考えたことがあるのか、イマジネーションが足りないのではないかと応戦してきます。

その後、家人が社会的にも地位も名誉もある存在で、愛人が出来、その愛人が赤ちゃんを盾に脅してきたらどうするかという非現実的な(愛人ができるという点に関しての危険性は現実的)話や、預けた赤ちゃんはその後どうなるのかという話になり、私がわかる範囲での乳児院、養護施設の状況を話しました。また、万が一赤ちゃんが子どものいないお子さんの養子となり、その後、赤ちゃんを引き取りたいと預けた親が来たらどうなるのかなどと話が発展していきました。

最後に、もし自分の子どもがレイプされて子どもができたらどうするかということに話しが及びました。それまで応戦していた二人ですが、不思議なことに二人とも答えは同じでした。「育てる」です。

彼女の心のケアの問題、もしかしたら、娘にとっては憎き相手の印となる子どもかもしれないけれども、家族全員で背負っていこうねと。家人は、相手がどんな人間であれ、自分の血が入っている事を思うと譲れないから不思議だと言っていました。(そういうことですかと苦笑)

それでも現実に、今この瞬間も切実な思いでいる女性がいるのではないかと思うと笑っていられません。公にすることで、様々な意見が出て収拾がつかなくなるかもしれない。それでも、「命の尊厳」について考えることは大変意義のあることだと私は思うのです。
by lakeforest | 2007-02-23 17:59 | 社会

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