かけがえのない時を

27日の行事が終わり、その夜から発熱。
26日夜から、強烈に喉がいがらっぽいような痛みがあった。

聖週間前日に、感謝ミサ、歌の集い、墓参、ゆりの行列をやるなんて!というお叱りも然りだったが、お花はきれいにグリーンと白でまとめられ、司式下さったイタリア人の神父様のその時ズバリのお説教は、大変噛み砕き、わかりやすく、おちついた優しい口調で話された。感動だった。

聖書の箇所も対比箇所であったが、お説教も「苦しみ」と「喜び」、教育を通して「今の自分があること」、根源的な「何のために厳しさがあるのか」ということまで、含めて話して下さった。皆、神父様のお説教に感動していたと思う。時間的には長いお説教だったが、そうは感じなかった。

共同祈願も素晴らしかった。
母校の経営母体である修道会より元校長様、学校より現校長様、そして同窓会より今回の委員会委員長。どれも素晴らしい祈りであり、ともに祈れることが嬉しかった。

そして歌のつどい。
ちょっと歳をとった元在校生たちは、Cこそないが、Bまである歌を歌った。天地創造より「み空は語る神の栄誉」、Oh Holy Night の追加バージョン「Christ is the Lord」、ハレルヤと校歌である。

卒業して初めて1‐3番まで校歌を歌ったという人もいらした。
涙ぐみながら校歌を歌っていた人が多かった。

秘境の温泉のように、山の上にひっそりと建つ学校である。
タクシーで正門で降りては大変である。おそらく初めてのかたは、そこから30分は山登りする形になる。途中、高速を眼下に見てわたり、お茶畑をぬけると、「我来た」のイエス像が迎えてくれる。噴水の向こうには、赤い屋根の校舎と緑青の聖堂の塔がみえる。

とにかく豊かな自然に恵まれた学校であり、校歌も、四季おりおりの学院を囲む地域の模様が語られ、学友と喜びを分かち合い、学校が、いつまでもそのような姿であってほしいという思いがつづられている。

ゆりの花を持っての墓参は、要所要所の祈りの時間が素晴らしかった。
この墓参のために、上級生のかたがたが、手と鼻を真っ赤にしてお墓を一つ一つきれいに磨いて下さった。とくに、岩下壮一師一家のお墓は、あまり手を入れていなかったのでとても時間がかかったそうだ。

終わった後にシスターが私の方にいらしたので、何か不都合が・・「十字架の道行のほうがふさわしいですよね」とか心の中で言うことを用意していた・・・ら「ゆりの持ち方がちがいます」と上級生から注意されたという。子どもたちには「ゆりの行列」をさせておきながら、自分が知らなかった・・とほほえましくおっしゃっていた。

そして茶話会。
今回こそは、私たちの思いをつらぬき、全て手作りである。シフォン、チョコレートケーキ、フルーツロールケーキ、ウェスト並もざいくケーキ、チーズケーキ、キッシュ、各種パウンド、焼き菓子、フルーツポンチ・・・すごいデザートビュッフェである。

何より、私たちが在学していた時の先生方がまだ教鞭にたっていらっしゃり、先生方の笑顔が何より嬉しかった。そのうちの何人かの先生が「いやぁ、この企画もだけれど、いつから司会に歌にと一人エンタティナーになったの?」と。爆笑の渦だった。一人の先生はマジシャンでもあり、そのうち仕事がなくなったらお手伝いさせていただこうかと思った・・・。

在校生に戻った1日はあっという間にすぎ、皆、それぞれの自分に戻っていった。感謝、感謝である。

私たち同窓生にできることは、いつでも学院を見守り、必要とあらばいつでも側面支援ができるような組織であることだ。今回の1日も募金額は多くはなかったかもしれないが、協働、参加型の行事なので、皆、母校が一歩近づいたとおっしゃって下さり、何よりである。

帰宅後、待ち受けていたのは部屋がえである。
だが、発熱のためダウン。昨晩、薬で熱を抑え、主な家具を移動。娘が急きょ、祖母宅から戻るという。今日は薬を飲みながら、朝から大掃除である。大変な誕生日を迎えたものだ・・(汗)。この1年を想像できる。

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創立102年目に閉校したアメリカの母校のMater Admirabilisの像。母校があること、それだけで感謝。
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by lakeforest | 2010-03-30 13:02 | 雑感

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