ひと

退勤途上の地下鉄で、色々なことを思い巡らせた。夢のように断片的なシーンのように思いが生まれながら、実は根底でつながっている。この世の中、つながっていないことなど何もないのだから、当然といえば当然か。

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先日、自殺と貧困をテーマにしたシンポジウムへ出かけた。
法整備、システム等ハード面で追いつかない課題が大きすぎるこの国・・・と正直思っている。

やはり「自己責任」論については話題に上った。自己責任論と社会保障、セーフティネット(社会福祉)論は切ってもきれない。アメリカの影響か自己責任や個人主義がよしとされる風潮にあるが、実は日本には自己責任論を述べるにたる土台、前提、支えがないと感じる。

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私たちがどのような国の在り方、どのような社会を求め、何を望んでいるのか?・・大事なことである。

日本において世論は理念なき魔物のような存在かもしれない。バランスを欠く極端な方向に陥りやすい。1人ひとりが社会像を思い描くことからまず始まるのではないかと思う。

勝ち組、負け組という言葉がはやり出した時から、こわい時代がやってきたと思った。勝負することはかまわない、ただ何を基準に勝ち、負けというのか?それから「組」というくくりも極めて日本的なものである。

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「すべり台社会」という。
今の社会は、一度落ちたら、再チャレンジ、立て直しができず、ただ落ちていくだけの構造ということだ。セーフティネットの甘さ、保障の要所要所に自己責任論がついてまわる。このような先進国でさえ、生きる選択肢が少ない。一旦穴に落ちたら、貧困にあえぐ国と同様のスパイラルに陥る図式がある。

また、日本では一つのコミュニティであり担保となっていた企業。
この不況の時代、担保とならない自己責任論の後押しが企業にも見られる。雇用保険の枠にない非正規雇用者を使うこともその一旦である。現状を聞いてみると、Noと言えない雇用者を逆手に取っているとしか思えない。保障もなく、正規雇用者と同様に働かせるということは道義的にどうなのかと感じる。サービス残業然りである。

それは、前々から話していたNGOなどの「インターン」という体験実習型と銘打って無償で働いてもらうシステムと似ている。インターンとは専門性を持ったボランティアである。アルバイト>インターン(無給、交通費あり)>ボランティア(無給、交通費なし)となる。このようなことを取り入れている団体は自己責任論を前提とするところであって、私はとても信用できない。ボランティアも交通費ぐらい支払うのは道義上当たり前であり、それができないなら義務にした方が良い。

NGO、NPOであるから特殊、何をやっても良いという論理はなりたたない。以前にも述べたが、そこまでして援助活動を続けるのはいかがなものかと思うわけである。最近になってNGOのCRSとかセルフチェックなどが行われているが、どこまで整備できるのかも疑問である。

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雇用創出で語られるワークシェアリングという概念も日本では育たないだろう。まず「シェア」という考えがない。そのような考えが育たない土壌なのかもしれない。おそらく勝ち組が負け組におこぼれをあげるような感覚になってしまう。同じ土壌に立ってこそのシェアリングである。

非正規雇用者と正規雇用者を同じように短時間労働にしても、ワークシェアリングにはならないのは周知のごとくである。←これは特定の人に向けての注釈と考えてよい。

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身近に目にする、一挙手一頭足がお金換算かと思われるような環境には、質の良い仕事など決して生まれない。お金によってモチベーションやモラルが下がっていくことは悲しい限りである。人を病へいざなうとなったらもっと悲惨である。1日に家族の時間の次に一緒に過ごすのは職場の仲間である。互いの働きに感謝できない環境を作りたくはない。

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そんなことを考えていると、地下鉄が地上に出て大きな駅に差し掛かかった。
電車の中から新しい駅ビルの大きな工事現場の全貌が見えた。

近頃は職人の数も少なく、音も軽減されているという。鉄骨組等があらかじめコンピュータによって計算され、工場でカットされて運ばれ、現場では埋め込むだけ、組み合わせるだけの作業だからだ。職人数が大幅に削減されている。人工知能のおかげである。

人は、機械やコンピュータという人間が作った高度な技術や知能に向き合う時間が増え、人と向き合うことが少なくなっている。時間短縮、合理化によって結果的に人がいらない社会が作り上がっていく。

「時間どろぼう」という子どもたちが演じた劇を思い出す。時間短縮が奪うのは時間だけではない、人の存在そのもの、存在意義であることは言うまでもない。

どんなに法を整備し、システムを改善しても雇用創出は生まれない。
私たち自身が、もっと人間の存在意義に気づき、人を愛し、互いの力を信じ、大切にすることから始めなければ。

地下鉄を降り、駅ビルに入る。人ごみの片隅にうずくまっている人がいる。
避けて通る多くの私たち自身がそういう人々、状況を生み出していることに気付きたい。自分の大切な人の姿を重ね合わせてみる。子どもたちが生きる時代には・・。

自己責任論を言い渡せるだけの社会保障制度、土壌の確立、すべての人が安心して暮らせる社会を目指して負のスパイラルをこれ以上広げないために自分たちができることは何か。

自宅の近くに差しかかる。工事現場のクレーンのつるが揺れている。風が強い。
そうだ、今夜は久しぶりに、シモーヌ・ヴェイユを取り出してみよう。
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by lakeforest | 2010-03-13 00:53 | 価値観

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