おんなたちのた・く・ら・み

<自分との戦い>
このところ、日ごろより神経を集中して仕事をしている。

1日の仕事の終わりには、その日の仕事の成果を振り返り、次の日の手順について考える。はっきり言って「時間がもっとほしい」と頭を抱える毎日である。かといって、2年前だったか家人から注意されてから、家にまで持ち帰って考えたり、仕事をすることは一切止めた。実際家に戻ったら、母として(妻として?)やることが山積みである。

要領が悪いのか、思考錯誤の段階が過ぎているのに、色々と変更点もあったりあして、何故か無駄なことをしているように思えてならない時もある。いや今悩んでおけば、次の仕事の土台に着実に進めるはず・・そんな確証にもならないある種の期待をもっている。

ほどほどとか手抜きとかあんまり要領よくできないタイプかもしれない。
でも今回の仕事は、チームワークが必要な仕事ではなく、一人でコツコツ行うので、自分のペースでできることが唯一の救いである。

この連休は子どもの学校行事等で予定が埋まっている。秋は行事づくめである。とにかく着実に一つひとつこなしていこうっと。

<じぇんとるかヤマトか>
職場で、エレベータのドアが閉まりかかった時、急いでボタンを押して勢いよく?もぐりこみ「失礼いたしました」と微笑んでみた。すると一言「最近、大和撫子をみないなぁ」と。

「何をもってヤマトとおっしゃいます?」「そぅねぇ。美しいたたずまいというかなぁ・・」「がさつでお恥ずかしいかぎりです」「いや、私は『大和撫子を見ないな』と言っただけだから」

清楚で凛としている様はわかる。
でも「一歩ひいて」とか「甲斐甲斐しく尽くす」などという尾鰭はいただけない。女性としてというより、人として、清々しさや凛とした雰囲気を持った人を目指したい。←一生の課題である。

同じ階で降りるとき、ドアが開いて一瞬二人とも動きがとまった。相手の御顔をのぞくと「どうぞ」と手を差し伸べていらっしゃる。私は私で「開」のボタンを押したまま、背筋を正して相手がたが降りるのを待っているという構図だった。笑えた。

<目的遂行のための手段>

e0108276_16244573.jpg行い全てであるが、特に目的を遂行するための手段には、美学というか価値観があらわれる。

目的を遂行するためにはどんな手段を使ってでも構わないのか?と思うことがらが勃発。(←ネトコ様のチケットはまだ発売されていないからね)

やり方がね、人それぞれとはいいながらもね。おお怖い。こちらの御堀は道頓堀とは違うシ。
ということで、目的のための手段のセンスが問われるということ。

今日はこの曲:
Mozart、フィガロの手紙の二重唱は、3音飛びの和音になったら、一人の人が歌っているような融合性が必要といわれている。つまり、二人の位(侯爵夫人、お手伝い)を超えて(気持ちの上で)一体となることを表現しているからであろう。何と素晴らしい歌い方なのだろうと思う。やはりFrittoliはこのところのベルカント継承者であると感じる。レガートで息が流れ、どこの音を切っても同じ、金太郎飴的歌い方である。(彼女の歌い方で一つだけ気になるのは、目を閉じるときの癖である。目にゴミが入ったかのように顔の中心に皺を寄せるような閉じ方をすることがある。リサイタルの時などは本当に気になる。)


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by lakeforest | 2009-10-09 16:31 | 雑感

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