大切なもの
2012年 05月 26日
ある朝、出勤中、職場を辞める場合に備えて、ロッカーの私物は宅急便で自宅へ送る、引き出しの中にある書類はシュレッダー…などと考えていた。
そういうことを考えていると、本当にそういうことを呼ぶものだ。
案の定、決定的に職場から消え去りたいできごとが起きた。
(休み時間)私信メールを数名に送った。
最後の数行はこのとおり:
―略―
私は本当にここに勤務するのがイヤになりました。
ここ(職場)のために働いているのではないから辞めたくないけれど、◎◎ということが残念です。 もう帰りたい。
メールの返信があった。
(一人で悩まないで)一緒にかんがえよう、という姿勢のメールだった。心強い励ましになり、その日は早退もせず、最後まで勤務できた。
帰りのホームで、いつも朝、一緒になる同僚が、ニコニコと笑顔で手を振ってくれた。
しかし、どうしても1人になりたくて、軽く会釈をして、反対方面の電車に乗って帰宅した。電車の中でも、今私が会社を辞めたら、家族にどんな影響を及ぼすだろう…と考えた。デメリットは金銭的なことだけだろうか…などと。
とりあえず、今の仕事が夏には一段落する、その後に辞めよう。私が辞めたところで、一人多く職員が入ったことだし、いくら担当が違うとはいえ、広報的なことに向いているかただから、大丈夫だろう、などと頭に描いた。次の仕事をどうするか、見つかるまでタダではすまされない、などと考えることもなく、ただ「辞めよう。これ以上ここにいたら、私は本当に病気になる。追い込まれるだけだ」と思った。
帰宅してから、「(事情が)許されるなら、会社、辞めたい」と夫に一言残し、「頭が痛いから寝させてくれる?」と、夕飯も作らず、布団をかぶって寝た。
娘が「大丈夫?」とのぞきに来た。
「ごめんね。明日、英語のわからないところ、一緒に勉強しようネ」と言い、爆睡した。
そして翌日、義母から電話が入った。
階段から落ちて、病院におり、動けなくなったので誰か迎えにきてほしい、という。
夫も娘も留守、息子は爆睡中。
私は大学に行かねばならない。(高い授業料を支払ったばかり…でも嫁としては、なりふり構わず病院に行かねばならぬはず…息子がダメなら私が行こう)とかんがえ、息子を叩き起こし、事情を話した。
すると、「僕がいくよ」と、普段からは考えられないくらいの速さで気がえ、すぐに病院にかけつけてくれる、という。頼りがいがある人間になったものだ。
義母に電話をして、私が伺えないことを詫びつつ、息子がかけつけるまで動かないように伝える。
診察をしたら、骨折ではなく、ねんざだったので大丈夫だが、1人では痛くて動けない状態だという。
そして、大学に行く準備をしていると、ほどなく病院の息子から電話があり、これからタクシーで義母を家まで送り、しばらく一緒にいるので「心配しないで、大丈夫だよ」と。
ありがとう、息子よ。
大学に向いながら、携帯で(自分の)母に電話。
「忙しいでしょう。仕事と大学で…身体に気をつけなさいね」と一言。
私の知らないところで、心配してくれている母の、かけがえのない深い愛情が感じられ、自分が忘れていた何かを取り戻した一瞬だった。
すると、昨日、あれほどつらくて辞めたいと思ったことが嘘のように消え去った。
私は職場のために働いているんじゃない。だから、誰が何といおうと、淡々と仕事をしよう。それだけでいい、と素直に思えた。
本当に忙しくて、余裕がなかったのだろう。だから、すでに追い詰められており、正常な考えができなかったのだ、と思う。
人ごとではなく、一緒に考えてくれている職場の同僚と、掛け値なしに私のことを心配してくれている家族、父や母、そういう幸せな環境がある、ということに心から感謝して、今日も、そしてこれからも過ごしていこう…。
そんなことを思った最近のできごとだった。
感謝。
そういうことを考えていると、本当にそういうことを呼ぶものだ。
案の定、決定的に職場から消え去りたいできごとが起きた。
(休み時間)私信メールを数名に送った。
最後の数行はこのとおり:
―略―
私は本当にここに勤務するのがイヤになりました。
ここ(職場)のために働いているのではないから辞めたくないけれど、◎◎ということが残念です。 もう帰りたい。
メールの返信があった。
(一人で悩まないで)一緒にかんがえよう、という姿勢のメールだった。心強い励ましになり、その日は早退もせず、最後まで勤務できた。
帰りのホームで、いつも朝、一緒になる同僚が、ニコニコと笑顔で手を振ってくれた。
しかし、どうしても1人になりたくて、軽く会釈をして、反対方面の電車に乗って帰宅した。電車の中でも、今私が会社を辞めたら、家族にどんな影響を及ぼすだろう…と考えた。デメリットは金銭的なことだけだろうか…などと。
とりあえず、今の仕事が夏には一段落する、その後に辞めよう。私が辞めたところで、一人多く職員が入ったことだし、いくら担当が違うとはいえ、広報的なことに向いているかただから、大丈夫だろう、などと頭に描いた。次の仕事をどうするか、見つかるまでタダではすまされない、などと考えることもなく、ただ「辞めよう。これ以上ここにいたら、私は本当に病気になる。追い込まれるだけだ」と思った。
帰宅してから、「(事情が)許されるなら、会社、辞めたい」と夫に一言残し、「頭が痛いから寝させてくれる?」と、夕飯も作らず、布団をかぶって寝た。
娘が「大丈夫?」とのぞきに来た。
「ごめんね。明日、英語のわからないところ、一緒に勉強しようネ」と言い、爆睡した。
そして翌日、義母から電話が入った。
階段から落ちて、病院におり、動けなくなったので誰か迎えにきてほしい、という。
夫も娘も留守、息子は爆睡中。
私は大学に行かねばならない。(高い授業料を支払ったばかり…でも嫁としては、なりふり構わず病院に行かねばならぬはず…息子がダメなら私が行こう)とかんがえ、息子を叩き起こし、事情を話した。
すると、「僕がいくよ」と、普段からは考えられないくらいの速さで気がえ、すぐに病院にかけつけてくれる、という。頼りがいがある人間になったものだ。
義母に電話をして、私が伺えないことを詫びつつ、息子がかけつけるまで動かないように伝える。
診察をしたら、骨折ではなく、ねんざだったので大丈夫だが、1人では痛くて動けない状態だという。
そして、大学に行く準備をしていると、ほどなく病院の息子から電話があり、これからタクシーで義母を家まで送り、しばらく一緒にいるので「心配しないで、大丈夫だよ」と。
ありがとう、息子よ。
大学に向いながら、携帯で(自分の)母に電話。
「忙しいでしょう。仕事と大学で…身体に気をつけなさいね」と一言。
私の知らないところで、心配してくれている母の、かけがえのない深い愛情が感じられ、自分が忘れていた何かを取り戻した一瞬だった。
すると、昨日、あれほどつらくて辞めたいと思ったことが嘘のように消え去った。
私は職場のために働いているんじゃない。だから、誰が何といおうと、淡々と仕事をしよう。それだけでいい、と素直に思えた。
本当に忙しくて、余裕がなかったのだろう。だから、すでに追い詰められており、正常な考えができなかったのだ、と思う。
人ごとではなく、一緒に考えてくれている職場の同僚と、掛け値なしに私のことを心配してくれている家族、父や母、そういう幸せな環境がある、ということに心から感謝して、今日も、そしてこれからも過ごしていこう…。
そんなことを思った最近のできごとだった。
感謝。
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by lakeforest
| 2012-05-26 21:53
| 雑感