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よき解決を願って

昨日、外在化の話をしたばかりなのに、私に関係する勘違いな情報が入ってきた。

本当にヒドい勘違いというか、解釈だ。
まぁ放置、無視する。

自分に自信が持てないのかも…そういうことを言い放つということは…。

落ち着いて、やるべきことをやることが一番だと思うけど…。

そしてそういう人たちに共通していることを発見した。

私が言うのも何だけど、感情の吐き出し方が不器用であること、そしてACに見られる傾向があること。

私に降りかかってきた火の粉だが、振り払うことはしない。
私も不器用だけど、いつか真実が見えてくるだろうし、放置。

心頭滅却?

きっと私も、このブログに気持ちを書いて、良き解決を願っているのだな。
# by lakeforest | 2012-09-07 07:02 | 雑感

外在化

アチーバー再生機かと思われるぐらい、一つの仕事が終わり、次から次へと新しい課題が生まれ出てくる。溢れるように…orz.

今月からあることをやってみることにした。
とても簡単なことだ。
ひとつは、けじめというか、アクセントをつけてみることにした。

家で仕事のことを考えるのをやめ、通勤途上で参考文献を読むのを一切やめてみた。
つまり、家では家族と自分のことを第一に考え、職場では仕事以外のことを考えない、という(極端にも似た)集中型のライフサイクルである。

平日、朝と夕方は家事中心で、参考文献の読書。たまにレポート。SNSでの発信を控え、アプリに手を出さない。(←これが一番効いた)
休日は、学校とレポートを中心に、家事。

すると視野が開けた。
機械に振り回されていた過去の自分が恥ずかしい。

そしてそれ以外の平日は・・・。
通勤途上での参考文献の読書をやめてみた(こんなに気持ちが楽になるものなんだなぁ)。
四六時中、単位修得のことが頭から離れなかったが、心配することがなくなった。

単純だ。
でも何でこのことに気が付かなかったんだろう。

職場については、諦めというか、これも腹をくくったからかもしれない。
まず、条件が合わなければ、自分から辞める決心がついた。
ある種の見切りをつけた。

すると、違う意味で、また積極的に動けるようになってきた。
働きやすい労働環境に近づけるように、実現できるところから実現化する。

疑問に思い、解決を求めたい事柄については、(同僚に聞くのではなく)直接上司に進言するなり、解答を求めることにした。今日もそうしたけど(苦笑)。変な噂になるのをさけ、自分にとって余計なことを、耳に入れないようにするためだ。

私は、上司の顔色を見たり、自分をよく見せようとして働くのはまっぴらごめん。
不器用だけれど仕方がない。

そして、職場の人間関係については、次のようにした。
職場の人との時間外接触を避けることに決めた。

何か魂胆があるように思われたり、まったく自分はそのようなことをしていないのに濡れ衣を着せられたり、羨ましがられたりしたが、そういうバカバカしいというか、くだらない考えを持つ人間と時間を使うことを辞めた。見方を変えれば、自らその人と関わるというか共有することにもなるのだから、ヒッキーではないが、自分の世界、自分らしさを大事にしたいと心から思った。

職場での「他人のこと」や「うわさ」を耳に入れない、そうすれば気にならない。
今までの笑顔の自分に戻れそうだ。

幼い頃からの母からの言い伝え(苦笑)。
「沈黙は金」「口にチャック」を貫く。
ただ愚直に与えられた任務を果たすことに尽きる。

すると、自分が少し変われた。
変わったような気がする。
いや、変わった。

まぁまだ1週間も経っていないが、このまま後半に向けてしばらく維持したいと思う。

どうなることやら…。
# by lakeforest | 2012-09-06 00:43 | 価値観

考えの坩堝

大学院の夏期集中の講義が終了。あとの集中講義は、秋の3連休などを生かしたものだ。レポートがたくさん残っているので、修了に間に合えば良いが・・・。

久々の日記。否定的なことばかり書いている、ポジティブにネガティブマターを発信する!それは単に、怒りのぶちまけじゃないのか?そうとも言えるかもしれないけれど、大事なことだ、と自問自答。


◎シンクタンク
自分の考えを出してくれ、と言われた。
「嫌だ」と正直思った。

組織のより良い活動のために、自分の「考え」や「アイディア」をシェアし、「どう実現していくか」。
私にとっては、その実現過程の中での「それぞれの情報や考えの共有やシェア」というのが、働きの最高の喜びだった。

それなしに「考え」を提供することなどありえない。
だから「嫌だ」と思った。

その共有や分かち合いがなく、権力行使する人間はたくさんいる。
そういう自己実現的に生きている人間にはなりたくないし、そういう人と「考え」の共有などしたくもない。

それに、今の職場でいえば、多くの専門職(に近しい人)がいるのだから、その知恵を十分に出し合えばよいだろうし、私は、専門外の「考え」をシェアするほどの報酬をもらっていない。

だから職場の専門分野以外での発言は、進んで出し惜しむ。限りなく傲慢であるが、専門分野の人はそれなりの報酬をもらっているのだから、当然のことであると思っている。

やすやすと私の大事な、小さな小さな、それでも濃縮されたドロドロで濃~い「考えの坩堝」を開けたくはない。それだけだ。

そのような中でも、その坩堝を開けて一緒に分かち合いたいと思う同僚が一人でもいることはうれしいことでもある。


◎もの申す…
「立場」を考え「役割」をこなす場合、難しいのは、たとえば、ボランティアとともに活動するプロだ。

表面上「同じこと」をしているのに、方やボランティア、一方は有償という顕著な例。

その違いは何だ?

実質的な行為の先に示されたものが違う。
「有償」の対価には、立場上果たさなければならない「義務」があるはずだ。

そこをしっかりとおさえて、仕事をしないと。


◎これから先
おそろしい。
これから、どうなっていくのか…。
万物の事象は、最終的には、神にゆだねる、神のみぞ知る、というところ。

時々引き合いに出される「神」という言葉が、なんとも口当たりの良いというか都合のよいものになっているとき、本当にそれでよいのか?と思ってしまう。

そう考えるこの時にでさえ、その方は、私たちのそばにいて、寄り添っていることを忘れてはならない。だから、大丈夫なのだ、結局のところ。

なるようにしかならない。
自分にとっての最善を尽くしていくこと、このことを着実に誠実に果たすのみなのだろう。

だけど・・・なんでつらい時に読みたくなるのが旧約聖書なんだろう。とくに『ヨブ記』。
# by lakeforest | 2012-08-28 06:36 | 価値観

中身

*感触
常用しているノートPCが壊れてしまった。
仕事から帰宅して、さてレポートに取り掛からねば…と思っていたところ。
何度パスワードを入れても、はじかれてしまった。

ゆっくり入れなおす、CAPS LOCK?おかしい。
隠れ文字ではわからない。
見える状態にして、押してみる。
あらら、一文字抜けている。
ゆっくり押してみる、おかしい。
何度おしても、一文字反応していないことが判明。
だめだ、無反応。

ネットで修理の見積もりを開いてみる。
新しく購入しても1万ちょっとしか変わらない。
というわけで、今日から新しいPCを使用している。

でもとても打ちにくい。
キーボードの形や、深さ、キータッチ感が全く違うためであろう。
感触って大事だなぁと思った次第。
歳をとると、新しいものになれるのには時間がかかるんだな。詰まりきった中身をいったん外に出して入れ替えるのに時間がかかるということだ。



*ところかわれば
転職して、同じような職位というか、役職についたとする。
でも、それはその組織によって、微妙に異なるし、表記の内容も全く異なる場合がある。

このところ「それは通常、その人(自分)の役割や仕事ではない。本来は…」という発言を耳にする機会があった。仮に、それがその人の前の職場でのその役職名での仕事であり、それが理想であったとしても、今の職場においては異なり、理想に近づけられない無理な環境もありえる。

新しい部署、環境に来たならば、まずは流れを見極めてそれに従って仕事をし、業務上不都合な点があったら、改善点として投げかけてみてはどうかと思う。

「前の職場では」という言葉は慎重に発言したほうが良い。
違いを認めたうえで、今の職場に活かすなり、こういう場合にはどうしたらよいか、というスタンスでの発言ならウェルカムだが・・・・誤解を生みやすい。

言語は考えの表現であるから、無意識な発言などはない。このまま不平や不満、違和感を感じながら、自分流に仕事をしていたら、チームワークはとれなくなってしまう。そして「やりたい仕事(だけ)をやりたい」という態度や発言につながるような場面を見聞きするのは、苦しいと感じている。



*看板の中身
役職つながりで。
私が長い間働いていた外資機関での私の役職は「Administrative Assistant」であったが、そのまたアシスタントが一人ついていた。通常AAというのは、日本でいうと、中小企業の一般職員に毛のはえたようなイメージだが、特定プロジェクトの部署だったので、どちらかというと、プロジェクトマネージャーに近く、研究者がたてたプロジェクトの予算管理、視察報告のチェックと作成などが主な仕事だった。逆に、スケジュール管理などは個々に行い、AAの仕事ではなかった。

この役職は、今の職場でいうなら「事務長」の仕事だ。
US労働省の、この役職での平均給与を調べてみたら、年俸$34,660、時給で$16.6となっていたが、私は当時、(年俸交渉して)約2倍の給料をもらっていた。だから、役職名など外向けの看板なのだと思う。

今はどうだ…?
役職はない(笑)。
仕事内容はアシスタントどころか、プロジェクトにかかわっているのに、時給にしてもこんなにもらえていない。人生で過去最悪の薄給だ。回りに目をやるならば、本当に同じような仕事をしているのに、職員間の「格差」をひしひしと感じている。給料でいうなら、私は一番下っ端だな!(←胸を張って言える)それでも今までは、仕事内容に誇りをもっていたし、同僚の心配りによって励まされてここまできた。

正直「辞めたいなあ」と思うこともある。かといって、この年齢で、今のように自分の能力を思う存分発揮できる仕事につけるとは限らない。まぁいやな仕事も含めてだけれど…。

だからこそ思う。自分の職位に胡坐をかいている人をみると「きちんと仕事をしろ」と。さもなくば、職位剥奪、降格、一から仕事をしてみんしゃい!と。

障害、病気と同じように、役職が「本来の自分」を表すものじゃない。自分の役職や立場で、自分より下位の者と上位の者を判断し、それによって態度を変える人間を見ると、悲しくなる。役職をとった自分に何が残るか・・・・ということだ。


*長崎
娘が長崎の研修旅行(現地学習メインの修学旅行)から帰宅。
雨が心配だったが、不思議なことに、1日目のミサの間に大降りで、全日程傘なしで過ごせたそうだ。

帰宅直後「どうだった?」と聞くと「もう、長崎の人すごーく優しくていい人ばかりで、長崎最高ーーー!!!大っ好き」と、景色よりなにより、どこかしこで長崎の方の温かさに触れて、癒されたようだった。

路面電車のハプニング。500円硬貨しかなかった同級生に「私が入れておきます」と、その子に代わって100円を入れてくださり、借りた同級生はアッという間の出来事で、返すに返せず、そのままおろおろしていると、その方が下車。

ほかの同級生がそれに気づき、あわてて別のリレー選手の同級生が信号待ちで下車して、走っておいかけ、お金をお返しし、走り出した路面電車を追いかけ、おいついて乗ったという。本来はこういうことは絶対にしてはいけないのだが、運転手さんも笑って再び載せてくれたという。

初日、浦上天主堂でのミサの先唱係で、本人は風邪の鼻声で緊張していたが、大役を終えホッとしたと同時に、係の準備で、ゆっくりと天主堂内部を見られて感動していた。長崎カトリックセンターで被爆者のかたのお話を聞く時間では、皆すすり泣き以上で、お礼を言う委員の感謝の言葉でもしゃくりあげてしまったらしい。

毎年のように関わっている先生方が「あなたたち、そんなに泣くなんて。こんな学年は初めてです!」と。「きちんとしなさい」という思いと「あらあら」という思いだったようだ。

外海の遠藤周作記念館(発つ前日に、遠藤周作のいとこである著名なシスターが帰天なさったのも奇遇。記念館の入り口右の大きなパネルに幼少のころの周作さんと一緒に写っている)、黒崎教会、ドロ記念館などを回り、長崎市内へ戻って班行動。

400枚ほど撮った写真をみたが、めちゃくちゃ楽しそうだった。
平戸と天草のコースに分かれる日があるが、私が修学旅行の時に「平戸」まで行けなかった、と悔いていたこともあり、三分の一が平戸、それ以外は天草だったが、彼女は平戸のコースにエントリー。

最初は、フェリーに乗れない、とか、大きな見学施設がない、とぶつくさ言っていた娘に「天草は、観光地化しているし一人で行けるが、平戸は、行こうと思っても行けるところじゃないから」と言った。夫には「そういう理由は子どもには通用しないよ」と。娘も「みんな天草で、フェリーに乗るとかいって、盛り上がってるし・・」と不満げだった。

が、平戸の教会建築、かくれキリシタンの話、資料館など、とても充実していて、そこでも長崎のみなさんのガイドや説明など、人の温かさに触れることができたようで、「ママ、平戸で正解だった。本当によかったよ」と笑顔だった。正解が何なのか私にはわからないが、うれしかった。

昨年ぐらいから、妙に教会活動に目覚め、学校帰りにも教会の中高生部屋に寄って帰宅することがある。「どうして洗礼を受けさせたのか」と教会へ行くのが苦痛だったこともあったようだが、中学生になったころから、毎年夏の合宿をきっかけに、教会へ行くようになった。

今年の合宿も山中湖だが、なによりも楽しみにしているようだ。
それがたとえ、友だち関係や遊び、ふれあいを基盤にしたものであっても、大きな恵みであると思っている。今は彼女にとって大事な居場所となった教会に、長崎土産(物産だけではなく、信仰話など)を持って、また一回り大きな愛を感じて成長してほしいと願っている。
# by lakeforest | 2012-07-21 08:03 | 雑感

いかりんぐ

いじめ。
どんな世界にもある。
前回書いた同調行動の結果が、それを表している。

痛ましい事件があとを絶たない。
もっとも痛ましいのは、未来を生きる子どもたちの自殺だ。
子どもたちには何の罪もない。

今、いじめられている子どもがいたら、言いたい。
「逃げなさい」ということを。
「そんな学校に行く必要はないんだよ」
「死なないで。死ぬ必要はないんだよ」ということを。
自分が自分を守る手段、力を手にいれるまでは、逃げることも防衛手段なのだから。

いじめられていることを恥ずかしくて言えない。
そう思うかもしれない。
残念ながら、大なり小なり、いじめはどこにでもある。
そのことが恥ずかしい事態だ。
誰にも言えないなら、あったことを全てノートに書き留めておき、それを机の上に置いて、警察、役所、病院、どこでもいい、「助けて」と駆け込むことだ。

子ども相談室に電話をしてみるのもいい。
とにかく「いじめられて悔しい。怖い。悲しい。みじめだ。憎い。助けてほしい。わかってほしい。どうにかしてほしい」そういう気持ちを、わかってもらえるまで発信し続けることだ。
それは決してみっともないことじゃない。
そういう勇気あるあなたを見逃さず、守ってくれる人はきっといる。

気付かない大人が鈍感なだけなんだ。
いじめはどの世界にもあることだから、防衛手段を知っている大人には、あなたのつらさをあなたと同じ様に受け止められないだけなんだ。

勇気を持って、今おこっていることを伝えてほしい。
全力で君を守るよ。
君は1人で生きているんじゃないんだから。
そういう大人は必ずいるから、信じてほしい。

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子どもたちがSOSを出しているのにもかかわらず、助けられない教師たち。
いじめと自殺の因果関係を認めない教育委員会、それこそ、やっていることがいじめ集団と同じだ。そんな教育委員会のもとで、いじめがなくなるわけがあるまい。

人間1人が大人になるまで20年。
普通の人は、その半分を学校で過ごす。
教育環境というのは大事だ。

いじめにどう対処したら良いのか、いじめが慢性化しない環境作り、人間関係づくりなど、人を育てるために、真剣に考えたらどうなのか、と思う。大人(教師)の間でも、そういうことが話せない環境や人間関係でいるから、子どもにも向き合えない。

まずは大人が変わるべき。
そして、根本的には職位を持っている大人たちの「対等な人間関係」を作っていくことが必要なんじゃないのか?

まぁ自分の職場にも言えることだから、これは自分へのメッセージにしておく。

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原発の再稼働。
経済の問題だというけれど、使用済み核燃料をどうするつもりなのか、それをはっきりと示してもらいたい。

何十万年もの間、放射性廃棄物という危険物質を抱えた地球。地球から人がいなくなる日も想定すべきだ。私たちは、そこまでの責任を背負いながら、原発を稼働すると決断したのだろうか。

人間が、自然の循環を断ち切ることはしてはならない。しまいには、人間がその循環からはじき出されるだけだろう。

まぁ、地球年齢もあるし、人間がどうあがいても、自然の流れに屈することはできないのだろうと思っている。

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以上、最近、とくに怒りにも似た感情が湧いたできごと。
# by lakeforest | 2012-07-15 15:26 | 価値観

日々のできごとを、訪れた方々と分かち合えたら・・。( 本ブログの文章、データ等の無断転載、使用はおやめください。)


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