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ある朝、出勤中、職場を辞める場合に備えて、ロッカーの私物は宅急便で自宅へ送る、引き出しの中にある書類はシュレッダー…などと考えていた。
そういうことを考えていると、本当にそういうことを呼ぶものだ。 案の定、決定的に職場から消え去りたいできごとが起きた。 (休み時間)私信メールを数名に送った。 最後の数行はこのとおり: ―略― 私は本当にここに勤務するのがイヤになりました。 ここ(職場)のために働いているのではないから辞めたくないけれど、◎◎ということが残念です。 もう帰りたい。 メールの返信があった。 (一人で悩まないで)一緒にかんがえよう、という姿勢のメールだった。心強い励ましになり、その日は早退もせず、最後まで勤務できた。 帰りのホームで、いつも朝、一緒になる同僚が、ニコニコと笑顔で手を振ってくれた。 しかし、どうしても1人になりたくて、軽く会釈をして、反対方面の電車に乗って帰宅した。電車の中でも、今私が会社を辞めたら、家族にどんな影響を及ぼすだろう…と考えた。デメリットは金銭的なことだけだろうか…などと。 とりあえず、今の仕事が夏には一段落する、その後に辞めよう。私が辞めたところで、一人多く職員が入ったことだし、いくら担当が違うとはいえ、広報的なことに向いているかただから、大丈夫だろう、などと頭に描いた。次の仕事をどうするか、見つかるまでタダではすまされない、などと考えることもなく、ただ「辞めよう。これ以上ここにいたら、私は本当に病気になる。追い込まれるだけだ」と思った。 帰宅してから、「(事情が)許されるなら、会社、辞めたい」と夫に一言残し、「頭が痛いから寝させてくれる?」と、夕飯も作らず、布団をかぶって寝た。 娘が「大丈夫?」とのぞきに来た。 「ごめんね。明日、英語のわからないところ、一緒に勉強しようネ」と言い、爆睡した。 そして翌日、義母から電話が入った。 階段から落ちて、病院におり、動けなくなったので誰か迎えにきてほしい、という。 夫も娘も留守、息子は爆睡中。 私は大学に行かねばならない。(高い授業料を支払ったばかり…でも嫁としては、なりふり構わず病院に行かねばならぬはず…息子がダメなら私が行こう)とかんがえ、息子を叩き起こし、事情を話した。 すると、「僕がいくよ」と、普段からは考えられないくらいの速さで気がえ、すぐに病院にかけつけてくれる、という。頼りがいがある人間になったものだ。 義母に電話をして、私が伺えないことを詫びつつ、息子がかけつけるまで動かないように伝える。 診察をしたら、骨折ではなく、ねんざだったので大丈夫だが、1人では痛くて動けない状態だという。 そして、大学に行く準備をしていると、ほどなく病院の息子から電話があり、これからタクシーで義母を家まで送り、しばらく一緒にいるので「心配しないで、大丈夫だよ」と。 ありがとう、息子よ。 大学に向いながら、携帯で(自分の)母に電話。 「忙しいでしょう。仕事と大学で…身体に気をつけなさいね」と一言。 私の知らないところで、心配してくれている母の、かけがえのない深い愛情が感じられ、自分が忘れていた何かを取り戻した一瞬だった。 すると、昨日、あれほどつらくて辞めたいと思ったことが嘘のように消え去った。 私は職場のために働いているんじゃない。だから、誰が何といおうと、淡々と仕事をしよう。それだけでいい、と素直に思えた。 本当に忙しくて、余裕がなかったのだろう。だから、すでに追い詰められており、正常な考えができなかったのだ、と思う。 人ごとではなく、一緒に考えてくれている職場の同僚と、掛け値なしに私のことを心配してくれている家族、父や母、そういう幸せな環境がある、ということに心から感謝して、今日も、そしてこれからも過ごしていこう…。 そんなことを思った最近のできごとだった。 感謝。
新人職員が実質入社2週間で、海外視察へ出かけた。
「上から目線」、というか「姉さん目線」、いや「お局目線」でのこの2週間の印象を話してみたい。 彼女は、元職員のマニュアルが簡潔明瞭でポイントが把握できるものであり、仕事の流れ、全体像がつかめたことに感謝していた。そして、スムースに仕事ができる土壌を自分なりに整えていたように思う。パーティションごしに斜め前に座っていた彼女は、2週間目には、もう今までずっとそこで働いていたかのように違和感がない。 視察前の打ち合わせでは「早く前任者のように動けるように追いつきたい」と話していたが、いや、もうすでにあとは彼女なりの持ち味が活かせるように、周りの私たちが協力していくことのみだろう、と勝手に思っていた。 さて、正直言って、ど-んよりと疲弊した私の身体に、清々しく、活力の漲る新鮮な風が入ってきたような気がしている。 オフィス内にも、新しい風が入り、新しい空気や意見などを新人の方々に求める傾向がみられる。 そこで私たちが気をつけなければならないことは「現状に至るまでの経緯」を把握してもらうことだ。つまり、なるべく同じ土壌で話し合えるように、過去の経緯を把握していただき、その上で新しい視点や不足の点を述べてもらうことだと感じる。それがなく、新しい意見を求めても、不毛な時間を割いてしまうことになり、失礼だ。 数年前、職員のほとんどが新しい人に変わった時、私を含め、今までいた同僚との間にギクシャクした雰囲気が生まれた。それは、逆の意味で同じことが起こったからだ。つまり、まるで今までの状態が「悪い」状態かのように、新人の皆さんが「良い方向へ変えていく」という意識でみなぎっていた。元からいる職員にとって、大変に失礼な雰囲気が満載だった。どうして今の状態になったのか、を無視されたこと(聞かれなかった)が最大の屈辱だった。 それから、管理職が変わる時というのは気をつけた方が良い。 「新しくする」「刷新したい」「改善したい」それらの気持ちや意気込みはわかる。 しかし、前任者の功績、今まで働いてきた職員の働きの上に、今があることも忘れてはならない。そこが欠如しているなり、そのような片鱗が見えると、「何様、オレ様」的な、とんでもない傲慢、かつ器の小さい人と思えて、早く異動してくれ…的な考えが部下に生まれること、間違いない。 絵に描いた餅的なたわごとを言わせていただこう。 だいたい頭のよい人は、システムに目をやり、総体的な流れをつかみ、良い点や不具合な点を考えたうえで、改善に着手する。そのためには、大まかな仕事の流れを一巡するまで、大きな変革はしない。限界を見据えたうえで、何か不具合が起きている場合は、その背景また土台であるシステム改革に乗り出す。上手く回っている場合には、一人ひとりの能力とともに人的環境を整え、そのシステムが上手く潤滑できるようにしていくことに配慮する。 組織の土台がしっかりしていないところに、どのように有能な新人が入っても、同じように摩耗し、古くなっていくだけだ。それぞれがそれぞれに高い能力を持って仕事に臨んでいるはずなのに、それが活かされない職場は疲弊、摩耗していくだけだ。よい管理職というのは、だれもが安心、安全に働くことができ、その上でその人がもっている能力を十二分に発揮しても惜しくない、と思える環境作りに励む人だ。宜しく頼みたい。 意気込みだけで空回りすることのないよう、管理職もまた、疲弊、摩耗しないように環境を整えていく必要があるだろう。現代の職場におけるメンタルヘルス、というのは、究極には、移入された資本主義や新自由主義が生んだものだ。 採用前の職場は、はっきりいって「飽和状態」だった。 大切なことは、「成長」戦略から「成熟」度を上げて行くことであろう、と個人的には思っていた。が、今回の人事で成長を求めている感が否めない。この状態で成長を求めては先がないことは明白だ。今の日本と同じような状態であるのに。 こんな状況に至っても、職場の雰囲気にすごい気を使い、私は大変に居心地が悪い。歳だな、適応力は年齢に勝てない、と感じる。とにかく、これ以上考えると、辞めたくないのに辞めざるを得ない状況に自分を追い込んでいる気がするので、この辺にしておく。 まずは自分のメンヘルだ。 何でこんなに働きの偏り、賃金格差があるんだろう。 何でこんな人事になったんだろう。 ちょっと風呂にでも…テルマエロマエを観て、気分を新たにがんばろうっと♪
いやなことをひきずらない、(夫婦喧嘩も)日をまたがない。
新しい朝は、気持ちよく迎える。 そんな気持ちでやってきた。 しかし今日は一晩中、眠れなかった。 とうとう、この時間になり、いつも起床する時間が過ぎた。 今頃あくびが…。 昨日は人間不信になりかけた。 怒りも湧いてきて、そんな自分にも嫌になった。 いや、もうすでになっており、気にしないように隅に放置しておいた気持ちが、目の前にドーンとシャッターのように降りてきた、と言った方が正しい。 「相性が合わない」というのであれば、つきあわなければいい。 たとえ相性が合わなくても、根源的なところで同じように考えていることがわかれば、「表現の違い」とわりきれるし、それなりに共感できる部分が生まれる。 しかし、根源的な「人間観」の違いからの行動や考えは埋められない。 それが避けられないから悩むのだろうなぁ。 まぁ、悩む時間だけ損だし、同じ土壌に立ちたくない、と考える自分がいる。 結局、そういう時は、自分を信じることに帰結するのだな。 寝てないと、作業効率が悪いし、正直、職場に行きたくない。 でも、山ほど仕事があるし、それをこなさねばならない責任と義務がある。 そういうことに追われずに、ノビノビと仕事がしたいものだ。 そういえば、先日、偶然帰り道、一緒になった新入職員の方が、肩を落としてこう言った。 「この職場は、正職員のことしか考えていないんですね。採用基準だけではなく、アルバイト、パート、嘱託の正職員への登用制度などが組織化されていない。同じ仕事をしていながら、立場によって格差がありすぎ、それを埋めようともしていない。様々な責任の所在が明確ではないのに、ただただヒエラルキーを都合よく利用しているような部分があって、がっかりです。できれば、粘り強く問いかけていきたいなぁと思ったりしていますけれど…」と。 ホントにそうだ。 でも、私は、頷くだけで、何も返す言葉がなかった。 そして、彼女の怒りにも似た力強い正義感を前に、こういう人と同じセクションで仕事ができたら良いのに…と思ってしまった。 こういう人というのは、「弱い立場におかれた人が、不利益を被る非人間的な行為やシステム=「差別」への是正に立ち向かう人」である。 私はもう立ち向かうどころか、立ちあがる気力すらない。 明けない夜はない。 立ちあがり、炊飯器のスイッチをいれよう。 Take a deep breath. Have a nice day, everyone!
昨晩、私の担当業務の責任者、そしてサブ責任者である大学教授と夕食をともにした。
私は、心調がよくないので、お酒を飲むとあまり宜しくない方向になりそう・・・とお酒を遠慮。お二人は、「(安心して任せてしまっていて…)いつも本当にありがとうございます」と、日ごろの私の仕事ぶりに感謝して下さった。 人はそれだけですくわれるものだ。 大学院に進む時も、お二人は相談に乗って下さった。 そもそものきっかけは、担当分野の充実と専門性を高めたいという思いからだったし、仕事に支障をきたしてはもともこもないので、受験前に相談した。 (今書いていて思ったが、院に行くきっかけは、それだけじゃなかったのではないだろうか…。心の奥底で、自分がやっている「仕事」の価値、いや、「私」の価値を認めてほしかったのかもしれない。つまり、「事務職」の範囲を超えた仕事をしている、なり、「専門性」を持って仕事をしている私、を証明したかったのかもしれない。正当に評価されていない、と感じていたのだろう) 受験後、試験の記述課題を報告した。 (拙夫に「とにかく書け。何でもよいから埋めろ!院では、書くことが主体になる。書けるかどうか、も試されているから」と言われていたので、とにかく書きまくった) お二人は、合格後、「『大丈夫、得意な分野だな』と思っていました」とか「課題の把握は難しいと感じましたけれど、いつもの通りであればクリアできると思っていました」とコメントを下さった。そして、お二人は、仕事を抱えての院生活は並大抵のことではない、と常に気遣って下さっていた。 (気遣いといえば、よくありがちな行為として、「きっと大変だろう…」というその人の判断や思い込みが、相手の選択肢を狭め、気づいたら疎外感満載の心外な行為に出くわすことがある。当たり前だが「自分中心の勝手な判断や思いこみ」ではなくて、その人がどうしたいのか、どう思っているのか、を言える場を作ること、「どうしたいのか」と尋ねたうえで、その人が判断、選択するなど、相手の行動選択を尊重することが大切)。 だからこそ、この乾杯の言葉に、ジーンときた。 心調が整い始めるだろう、この一言で。 他部署からみたら、私(たち)の今の仕事量は正職員でも多い方だと感じる。 仕事のペースを高めて残業を減らし、効率的に進めてきたが、無理をしないことにした。このままだと発狂しそうだ。(性暴力について翻訳をしている同僚が「発狂しそう…」と、私に相談に来た。業務の内容が内容だけに、私ならわかってもらえる、と。わかる。本当に気が重くなるだろう。)蓋を開けてみれば、職員を1人分増員させられる余裕があったのだから、私も私のペースで仕事をさせてもらうことにする。 アウェー感はぬぐえない。 公平な審判に信頼し、正々堂々と戦おう。 がんばれ、私。
この頃、自分の心調が今一つなため、昨日、メンヘル相談に行った。私にとっては、月2回の相談室は、学校の保健室並の癒し力がある。
昨日は、環境変化にともなう気持ちの変化や落ち込みを、自分なりに分析し、改善を阻害してい点も自己評価しながら、思いっきり正直に、今思っていることを吐露してきた。 今のカウンセラーさんにお世話になって、約1年半になるが、主体的な行動変容を促す対応をしてもらっている。最初に訪れたきっかけは、膨大な自殺の調査票を読み、分析している過程で、自分自身の心調を整えることが必要と感じたからだ。私にとっては、大変信用のおけるカウンセラーである。 産業カウンセラーとして職場にいらしているが、臨床心理士資格をお持ちの実践家である。大変、有能で、平たくいえば(失礼を承知のうえで)「使える臨床心理士」だ。彼女のポケットの中には、多くのスキルがつまっており、人の状態、時、場合によって使い分けているなぁと感心している。まぁとにかく、私とは相性があう。(←私だけが思っているのだろうが…) そんな中で、カウンセラーの技術を客観視しながらも、院に通い始めて様々な理論を習得するうちに、モヤモヤしていた感覚がスッキリした点がある。 以前から、職場で「社会福祉」と「援助活動」の分野に分けられ、その間に壁があることに疑問を感じていた。私の中では基本的には、概念的なものはまったく同じで、土壌が異なることと、間接援助か直接援助かの違い、だと認識していたが、職場の雰囲気は、「援助活動」は直接援助に関わる専門領域、という感が否めなかった。 3年前ぐらいだろうか、人間開発学を学んだ援助分野の同僚からは「福祉」とは異なる、と指摘されたが、その時私は「局面は異なっても、同じこと」と、感覚的に捉えており、それに反論するだけの力や知識がなかった。 しかし、選んだ院が良かったのだろうと思う、つまり「人間(科)学」という領域を選択したため、様々な分野を横断的に学ぶことができ、ますます確信をもって「同じこと」と言えるようになった。そして先月、その同僚が辞める際に、何が同じで何が違うか、を少しだけ語ることができた。 ソーシャルワーク論は、イギリスで萌芽し、アメリカでの貧困問題を基礎に体系化されている。援助技術は、心理学をベースに、医学モデルと生活モデルを融合させながら体系化されてきた。日本の社会構造、文化的背景などから、模索されながらも、結果的にそれぞれの専門分野との連携が必須になってきているように思う。 大雑把にさらったが、一つだけ思っていることがある。 「国内援助」のアセスメントをきちんと行えるように整えた方が良いと感じる。分野をまたいで横断的な視野で評価できるようにするために基盤を整えていくことが求められている、と感じてならない。 遅刻しちゃう。では皆様良い一日を。
5月に入り、わが部署にも2名の職員が入ってきた。
他部署の多くの人から、経費削減に伴う今までの流れに逆行して2名も採用することへの疑問を耳にしたが、私のあずかり知らぬところなので、返答するすべを持たなかった。 私自身、今まで通り自分に与えられた職務をこなすまでである。いつも思うが、職場には24時間の約三分の一いるので、その環境については互いに気持ちよく仕事ができるよう、務めていきたい。そして何かと新しく入ってくる職員にばかり気を遣うが、今回は3人の職員のところへ2名の新人が入ることになるので、環境が大きく変わるといっても良いであろう。元からいる我々も新環境適応への注意が必要である。とくに、歳をとるとなかなか適応までに時間がかかるので要注意だ。 そして同日に、修論の指導教官との面談があった。 指導教官は、最初に大学側から割り当てられ、その後、変更を希望する者は、その旨理由を添えて変更希望届けを出す。私は、第一希望の死生学担当の教授であったので、変更希望などは出さなかった。指導教官である教授は、1年次から、レポートには厳しいという評判通りで、真っ赤になって返却される人も多かったようだが、2年次に向けてはとても心強い指導だと感じた。授業も生命倫理に関するDVDなどの視聴が主で、毎回授業の最後にB41枚のレポートを書いて提出する形式だった。毎回、大変に考えさせられた。 さて、教授の部屋に入ると、対面ではなく、先生の横に座るように言われた。 最初は、私自身の今の生活や仕事の内容について聴かれ、どんどんと時が過ぎ、30分過ぎたころから、第2次研究計画書をもとに、掘り下げて聴かれた。 「大丈夫だとは思うけれど」、という前置きがあり、注意した方が良い点をアドバイスして下さった。博士論文ではなく、今後の取り組みの第一歩であるのだから、まずは手始めに…という感覚を持ち、あまり気張らず、誰が読んでもわかるように、自分の持ち味を発揮して書くこと、そしてダラダラと書かないことを注意された。教授は2万5千字くらいが読みやすいと感じており、ワタクシの構想からすると5万字くらいになりそうなので、前半のグリーフについての心理学的概要と考察、歴史について、章立てをせずに、大幅にカットして、ストレートに「日本文化とグリーフ」という視点で書き、その中で触れる程度にした方が良いのではないか、ということだった。大変具体的になってきた…まぁ、最初の部分はまとめるだけなので書き始めていたが、それはなしになった。 その後、話しを詰めていくうちに、もっと視点を狭めたいと思い始めたワタクシ。その場で「Continuing Bonds」をキーワードにして、掘り下げていこうと思えてきた。ワタクシのwebbing傾向が、時に思考の分散傾向に繋がる不安要因であることを認めたうえで、指導教官に、今まで読んだ参考文献の一覧表をお見せした。そして一つ一つの本の解説をくわえていくうちに、著作者に関する談義に花が咲いてしまった。ますますもって「気持ちはわかるけど、広げちゃだめよ。掘り下げるのよ」、としっかりと釘をさされた。了解 面談時間1時間を越えたくらいから、研究計画書にあげた3冊の参考文献についても検討しなおし、その場で却下し、その参考文献一覧表の中から、掘り下げる本を1冊決めた。決まると早いからネ、ワタクシ。 なんやかんや話しているなかで「指導教官というのはどうやって決まるのか」と質問してみた。すると、昨年一人退官なさった教授の分まで引き受けられて大変だったことを科長が考慮し、今年度は「指導したい研究を選んでください」と言われたそうだ。つまり、私の研究は選ばれたらしい…嬉しい限りだ。東大の講座で一緒になったのも必然なのだな…やはり、人生に偶然などない、偶然という名の必然だ。 そして、論文は心配していないが、昨年の必修1科目のレポートを余裕をもって終わらせるようにアドバイスして下さった。今年修了予定にしているのか?を確認され、延ばしても良いが、まずはできるところまでやってみたいと思っていることを話した。 今後はメールでやり取りしながら、会って話したいことがある場合は、いつでもOKとのことだった。とても勇気づけられる面談だった。 そして久々に訪れた図書館では、社会福祉系のレポートに必要な参考文献になる本の旧バージョンを「ご自由にお持ちください」のコーナーで発見。大雨の中、借りた本と合わせて持ち帰ってきた。帰宅すると右肩が真っ赤になっていた。そのまま体重計にバッグを載せてみると、なんと7キロ近くあった。 大雨の中、大荷物にヒールで滑らないように神経を使ったせいか、朝起きたら、なれない筋肉痛が発生。さぁ、GW中、レポート1本終わらせよう。気力だけは漲っている次第でアル。今日も嵐だ。ARASHIを聴こう。
授業が始まった。
今、公私ともに関わっている自殺対策に必要な『精神医学』。 この科目だけが唯一中途半端な単位数なので、受講者全てが興味だけで受講していることになる。(『自殺』『うつ』のためだけに、開講しているようなガイドだったし!) あぁ…何で取ってしまったか…orz. 講師は、東大の医学系大学院で教えていらっしゃる著名な先生。 「中途半端に覚えるくらいなら、覚えない方がいい。覚えるならきちんと覚える」「受講後は見立てができるぐらいになってほしい」「出席50%、試験50%で記述式5問。一問10点で加算。持ちこみなし」と。その時点でヘタレな私は、帰宅したかった。(今までのオールSが、早くも消えたッ…) でも和やかな雰囲気で(大阪出身「ボケ」担当なため、生徒にツッコミを要求された)、「こんなこと聞いたら恥ずかしいと思わないこと」と言われたので、私は確認しまくっている。 まずは、東日本大震災においてもよくつかわれた「psychosocial:心理社会的要因」という用語の確認。わが職場でも「psychosocial」と(わかっているかのように)飛び交っていたが、感覚的にではなく、きちんと説明できるようにしたいと思っていた。そして「環境要因」と並列に書かれていたので、ますます、定義をきちんと把握した方がよいと思ったからだ。 それから「うつ」になると、なぜ「死にたくなるのか」…を詰めて聴いてみた。そして「治りかけが一番危ない(自殺する可能性がある)のは、ただ単に身体が動けるようなるからなのか」とも聴いてみた。1回で終わりきらなかったので、次回は脳科学的な(いわゆるセロトニン分泌など)側面からの講義となり、より詳しく解説される予定。 それから、APAのDSM-IV TRから本年公開のDSM-5への20年ぶりの更新にあたっての、概念の違いなども織り交ぜて、公開前だが、先生の訳で解説を受けた。 疲れた…帰宅したら、あまりの頭痛に寝込んでしまった。 今日は、聖書の分かちあいだし、新しい神父様だし、教会へ行かなくっちゃっと思っていたが、結局夕方の4時まで爆睡した。 一番気楽に受講できると思っていた教科が、一番重くのしかかってきそうだ。 まぁこの1回でこんな感じの私。不安障害があるのかもしれないな。さぁ、復習を早めに終えて、修論モードにもどろう・・っと。
新年度が始まり、お弁当づくりや保護者会など、母親として(最低限の)子どもの学校との関わりが始まった。
我が家は、受験生、進路を決める大事な学年の二人の子どもと、修論を抱えている勤労学生が一人。4人家族のうち3人が学生である。3月に私の学費を納め、受講開始の前日、夫から「受験生がいるのだから、卒業を1年伸ばしたらどうか?」と言われ、ちょいと凹んだ。でも、今は、やるだけのことをやって考えてみようと腹をくくっている。早速、修論指導教官の面談を前に、20日締切の提出書類を書き上げ、メールで送付した。 「喪失」「死別」を概観しながら、もう一歩突っ込んで「人間の実存」に触れる事柄として、「悲嘆(グリーフ)」を通して「死生観」「生」に触れてみたい。「悲嘆」というものをどのように捉えているのか、を述べる時に、心理学的な見地のほかに、脳科学におけるメカニズムにも触れたくなり、ダマシオの「感じる脳」を読み始めた。 広がりすぎるのが私の欠点だが、訳者は、あの(原子力問題で講師としてお話下さった)田中三彦氏であり、情動、感情、心、身体という視点からも、読むべきだろう…と思いついた次第である。邦題が「感じる脳」となっているが、訳者が直訳した題は「スピノザを探し求めて―喜びと悲しみと感じる脳」となっている。ちょっとワクワクである。まずは、徹底的に「悲嘆」について掘り下げみようという意気込みである。 今朝、背中、脇腹にかけて、激痛が走った。 身体を動かす角度によって、息ができなくなるほど痛くなり、フリーズした。神経痛?と直感した。そういえば、小学生の時に腕を骨折したのだが、何十年も何もなかったのだが、今年の冬に初めてうずき、今も手を動かす角度によって痛みが走る。そして、昨日の異様な寒さの中、娘の学校へ行き、身体が冷え冷えの状態だったからだろうか、朝、そのような状態に…。もう少し身体をいたわらねばならない。 先週から始まった大学も、校舎が移動して、職場に近くなるため、土曜日も職場に行く感じだ。遠いなぁ…。まぁ、ゆっくりと身体を温めて、今日は早めに就寝することとする。 ということで、感じる身体で「感じる脳」を読むとしよう…。
先日、職場の長との面談があった。
面談は、事前に渡されていた自己申告用紙に記入して臨むのだが、その「建設的意見、提案」のところに、当初は、職員の賃金格差の是正(正職員、パート、嘱託)、メンタルヘルスに関する一考察などを記入しよう、と思っていたのだが、忙しさにまぎれて、自己申告用紙を記入し始めたのは、面談2時間前。結果的にその欄は空白で出した。 冒頭、自己申告書を読み終えた長が、「日頃の業務で感じることはありますか?」と一言。 するとスラスラ(苦笑)と… 先日発表された我がセクションの人員増員の新規雇用も含めて、毎年のように起こる組織の土台を揺るがすような事柄(予算削減、人件費削減による異動や統廃合、東日本大震災、その後やっと平時で仕事をしようとした矢先の突然の人員増員)に対して、雇用されている私たちは不安とストレスを感じ、安心して仕事ができない。人員計画然り、全てにおいてヴィジョンを持ち、その元で自分の分を果たしたい …と、口にしてしまった。 長は、我がセクションが前々から色々とやり玉にあがっていたことをあげ、現場の職員にそのような思いをさせてしまったことを詫び、その後、着任後の思いをじっくりと話して下さった。私は途中、職場の環境整備とくにメンタルヘルスについてどのように思っていらっしゃるのかを伺った。まだ未知数の部分も含めて、丁寧に意見を聴かせて下さった。私は、現場をよく見ていらっしゃる&大変正直な方だなという印象を持った。 その後、処遇改善がなされないまま、私の内的モチベーション、何がこれまでの支えになったのか、と質問された。(うーん、あまり考えたことはなかったなぁ…)そして出た言葉…「プライドです」と。自分でも思っていなかった、そんな言葉・・・だからこそ、潜在意識としてあった真実なんだな、きっと。 そして具体的に、自分を振り返るかのように、自分たち(我がセクション)の立ち位置をしっかりと認識し、自分たちならではの働きを通して、支援して下さるかたがたへより豊かに還元できるようにすること、現場(外部)での関わりから得られた人的成長への感謝を述べつつ、どの職にあってもこなせる(勉強させていただくという謙虚な気持ち)という思いを述べた。 そして、色々考えれば、本当に不条理なこと、理不尽なことは山ほどある、でも、そういうことに捉われるのではなく、(そのようなことがなるべく起こらないように)関わりによって変えていこうと思っている…強いていえば、それが内的モチベーションです、と。(まぁ、最後の部分は、今回の人事で一部完全に折れた) まったく具体性を欠いた人間論的な話しになってしまったなぁ・・・処遇改善どころの問題じゃないや…と思ったところ、長がすかさず「それと同じような話しを、昨日、ある教育者から聴いた」とおっしゃり、その話を笑顔でお話下さった。 結果的に、長と私が半分半分に語り、「分かち合い」のような時を持った感じだった。そして最後に、この職場で必要なことは何か?という路線になり(僭越ながら)「互い(の働き)を認めあうこと」と申し上げ、具体的な改善案を2、3、思いつくままに述べた。 そして最後1分で、具体的な仕事内容を今までつくってきた小冊子等を示して早口で述べた。強調したかったのは(当たり前だが)、たとえば小冊子など、読み手の方々の思いを意識しながら、最善の努力をもって事にあたってきたことだが、それも上手く伝えられたかどうかは未知数だ。 面談終了。 ドアを閉め、エレベーターに乗った直後… 何、良い格好してるんだろ、私。それって管理職が考えることですよね、と言い返せなかった。私の給料、働きに見合ったものにして下さい!って何で言えなかったんだろー…orz と、いいようもない寂寥感が襲った。 まぁ、私らしいっていえば私らしい。 天が見ていてくれる…。
ちょっと煮詰り気味な今日この頃。
日本文化に根付いたグリーフケア…というような視点から、様々な書物に目を通してきたが、何よりも被災地からのレポートは、私にとっては、生の教科書に匹敵する。 「地域性」に着眼することは大切なことだ。 たとえば、高齢のかたが多い被災地では「Aging in Place」という視点からも、それを証明できる。 Aging in Placeとは、自分の慣れ親しんだ場所、地域コミュニティにおいて、自分らしさを持ち続けながら暮らし続けること、そして、そのような暮らし方が社会全体にとっても価値あるものにつながっていく仕組みや人間関係、社会関係を意味する。 長年住み慣れてきた空間は、単なる「場所」ではなく、その人自身が受け持ち、育んできた固有の歴史、文化、伝統、共通価値をもつ、意味ある空間である。またコミュニティの中で築きあげたネットワークの中での自分に、多才な役割や存在価値を見出してきた場でもある、ということだ。 喪失体験は、自分の人生物語を変容させるできごとである。人は、喪失体験を自分固有のものとし、自分らしさに変えて、生き続ける。自分が生きていく場所での文化的、社会的背景、関係性に着眼することは必要である。 心と文化の関係においては、フォークサイコロジー、文化心理学などで、様々な議論がなされている。私は、ブルーナーの『意味の復権』にみられるように、文化的循環の中に、関与者と相互に影響しあう行為の研究、また文化的に形成、共有される「意味」の問題を文化的観点から捉えるためのフォークサイコロジーとナラティブ論に大変好意的な興味をもっている。 日本において、ナラティブ論の第一人者であるやまだは、ことばとことばの移りの谷間に入り込み、その余白の行間をこつこつと無骨に埋めること、そしてそこにはどのような心理学的真実が働いているのかを究明すること、また喪失から生成へ、死と聖なるもの、喪失が倫理へ・・・と結びついていく心理的メカニズムの探求こそが心理学者の仕事であると述べている。 日本は哲学よりも文学に支えられている、と何かで読んだことがある。綴られた文字、語られる言葉から紡ぎだされるストーリー、空間、イメージを愛おしむ人が多いのではないだろうか。漫画にしてもそうだ。想像、イメージ、そのようなもの、そして「空気を読む」というような姿勢もまた、関係すると思われる。 …なーんてことを考えながら、友人と夕食をともにする場所へ急いでいた。 すると古本屋さんに、夫が興味を持ちそうな本が…これは夫に買っていこう。そして、その下にあった本をふと手にすると!なんと、以前に読みたくて仕方なかった本だった。(やはり、ここで夫のことを思わなかったら出会えなかったってことだナ…)題名をすっかり忘れていたので、表紙をめくり、共著の面々を見てびっくりして即購入した。その名も 『異界が覗く市街図』 シャーマニズム系の本だが、やっぱり私の心は、そちらにも惹かれる。今年度のクラスに、そのようなことに触れる機会がありそうで、今から楽しみにしている。 結果的に、脳内散逸状態の私…まず、大漁網ではなく、いつになれば一本釣りになれるのか…そこが問題だ。うん、そこが問題だな(苦笑)。 つらつらと考えながら、訪れた先は「うさぎ」。アボカドのコースを堪能した。携帯で撮影。 ![]() ![]() ![]()
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