日々のできごとを、訪れた方々と分かち合えたら・・。( 本ブログの文章、データ等の無断転載、使用はおやめください。)


by lakeforest
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mid-quarter

気がつけば3月。

1月・・・
早々に論文提出を終える。
子どもの高校受験、願書書きが始まる。

2月・・・
初頭に口述試問。中旬に修了が決定。
それと同時に、高校受験が始まる。
直前になって志望校を変えたりするなど紆余曲折あったが、無事、収まるところに収まった。

合間をぬって、自死の危機介入講座の講師として出向く。
人数が少なかったが、それゆえ、丁寧に中身の濃いものになったようだ。終了後のアンケート集計も、大変興味深い結果が出ていた。

4月から、死生学に関する研究所に研究員申請をした。
ポスドクの方が多く、仕事を持っている者につとまるかどうか…でも研究は続けたい。審査結果は翌月。こちらの審査結果が早く届けば、今の大学院の研究生として残る手続きができたが、ちょっと無理そうだ。

全科目(12教科)の成績がついた。
Sが9、Aが2、Bが1。惜しかったのは、あと1点でSだった比較宗教学特論。Bは人間学特論。これはもう最後、嫌われたのではないか?と疑問に思った。テストはA、レポート評価が低すぎた。今でもなぜかわからない。

下旬には職場のトップとの面談。
ここ数年は配属が変わらないようだ。次年度様々な改革があるので、異動の可能性が大きいと思ったが、今のところ大丈夫そうだ。専門分野での研究をつづけながら、今まで以上に中身の濃い内容になるよう努力したい。

3月・・・
同じ日付に子どもと私の修了式。修了式のあと、幹事を仰せつかった謝恩会と懇親会の実施。
中旬には、研究員申請の審査結果が出る。


明るい兆しが見え始めた。
適度な緊張感と前向きな気持ちをもって新年度を迎えたい。
感謝。
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# by lakeforest | 2013-03-04 08:34 | 雑感

きがつけば2013

2か月ぶりのブログ更新・・・気が付けば越年・・・orz.

修論作成、印刷を終え、1月3日に大学へ送付。何とか締切に間に合い、あとは単位認定、口述試問、そして修了の運びとなる・・・。

思えば、11月中にすべてのテスト、レポートを終え、同時に修論のパッチワークをまとめ、年末は指導教官との綿密なやりとりに明け暮れた。

2月に修了が決定したら、3月の上旬には、研究生として残るかどうかを決めなければならないが、その前に、愚息の受験が控えている。

どうしても抱えている3本のショートレポートを書き上げられない。成績がつくわけじゃないのに、気負ってどうする?!

何かとせわしない2013年の幕開けである。

皆様どうぞお健やかな一年をすごされますように。
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# by lakeforest | 2013-01-09 23:07 | 雑感

chance or/and necessity

天高く、地が低く見える秋。

あと10日で10月が終わる。
本当に、レポートづけの日々になっているはずなのに「どうした?私」。

海外からの視察団のアテンドで訪れた関西の研究所。所長が体調不良なため、若い(しかも鈴木杏樹似の美人)研究員の方が対応してくださった。その名刺の名前に、見覚えがあった…うん?…そうだ、文献だ、このかたの名前の、文献を読んだことがある!

帰る準備をしている間、おそるおそる「◎◎先生、私、先生の論文を拝読したことがあると思うのですが、◎◎について書いていらっしゃいませんでしたか?」と質問。やはりそうだった。そしてもっと突っ込んで聴いてみた。

「先生、大変失礼でいらっしゃいますけれど、どちらで研究を?」と伺うと、なんと「京都大学のカールベッカーというんですけれど、ご存じ、で・・」。ハイ欠かさず、もとへ、すかさず「存じ上げるもなにも、先生の著作は全て読ませていただいております!素晴らしい!実は、私、先生の考えに感銘をうけて『日本人らしいグリーフケアとは何か』を考え、論文をまとめているところなんです」と(苦笑)。

なんと京都大学大学院で博士号を取られたのだった。そして、ご自分が書かれた本を下さった!視察団と別れ、自宅への電車の中で読み進んでいくうちに、まさしくこういうことが書きたかったのだよ!という思いにかられ、自分の論文の方向性を確認できた。

研究所の所長さんが体調不良でなければ、こういうことはおこらなかった。本当にすべては「偶然という名の必然」なのだなぁと感じる。

そしてその翌日、大学からレポート評価と講評が返却された。
昨年不合格で越年した科目が合格し、それも講評の中で、現代社会での「生きる意味」の喪失について、よく分析ができていることを評価され、「あなたも、このことに一役買ってください。期待しています」と励まされ、勇気を与えていただいた。これですでに、試験は合格しているので、単位取得が可能となった。良かった。

そして補完授業として取った「インド思想」については、自分自身もかなりはまってしまい、補完ではなくなってしまったが、こちらも大変高評価だった。すでに試験も意外にも高得点だったので、あと1本レポートが合格すれば単位取得が可能だ。

レポートが残っているのはあと1教科のみ。しかも2本書かねばならないのだが、今月中に1本書けば、ギリギリ単位取得には間に合いそうだ。がんばろう。

あの若い研究員のかたは「人間・環境学博士」であった。
ある種、学際的な分野である。多いに触発されたッ!
これがもう少し若い時にあったら…とも思うこともある。
しかし、やはり「天が下には時がある」。
すべては「必然」であり、どのようjに向き合っていくのか、そのことが大事。
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# by lakeforest | 2012-10-20 08:19 | 価値観

unfounded fears or ・・・

今月は、徹底して「論文中心に考える月」と決めていたのに、しょっぱなから多忙を極め、この三連休は2日目から発熱でダウン。

人は、病気の時、心も弱くなるものだ。
悪夢ばっかり見た。
論文清書提出日に、表題も一文字も書けない白紙論文(←博士論文じゃない)を前に唖然としている自分がいた。短い睡眠ごとに、うなされながら目が覚める。

全て論文の夢だ。
起きるたびに、机から参考文献を取り出し、読む。
しかし頭に入らない。
構図も、テーマも、すべて放棄したくなる。
一体自分が何を求めて、書こうとしているのか…と叫びたくなる。

パタンと枕元で本を閉じ、睡眠。
次は、やり残した課題レポートが一つ見つかり、焦って締切日に仕事を休んで書き始める夢だ。焦っても仕方ない、とわかっていても、動けずに布団の中でもがいている自分に焦りの汗が…。(←それで熱が高いんじゃないのか?)そして、食事、食器洗い、洗濯物…すべてが、とても大きな責任を伴ってのしかかる。

私は普段、根拠のない確信によって動かされているのだなぁ…。
病になると、その根拠のなさが、不安につながっていく。

今日は、10日締め切りのレポートを三連休で書き上げ、最終チェックするための日として有休をもらったのだが、結果的に、身体を調節するための1日になった。今月中に最終レポートを書く計画は挫折した。こういう時、元気の良い時ならば「まだ大丈夫」「あきらめない」と思うのだが、かなりnegative mindである。とりあえず、今日と明日で何とかできるところまで仕上げよう。

来週も、自殺について海外からの視察団が来ることになっており、その準備を進めているうちに「これが自分が長年思っていた大学院へ行く契機になったのだ」とよみがえった。

結果的に日本における自殺を減らす動きというのは、NPOなどによって社会構造的な改革が必要とされて動いているが、もっともっと思想文化的、空間的な概念を見つめていく必要があると思っている。

大学院の「人間学」専攻での大きなテーマは「人間疎外」である。悲しいかな、自殺はその究極な一面であろう。

あぁこうやって、ブログで自分の論点を明確にさせようとしている自分がいる。
少しは元気になってきたようだ。さぁ、今日も一日、がんばろう。
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# by lakeforest | 2012-10-09 08:43 | 雑感

メンヘルいろいろ

公私ともにやること山積みな長月も終わり、明日から神無月に入る。

まずは「私」から。
修論も山場なのに、まだレポートが3つも残っている。
当初、補完として選択した「インド思想」に予想外にはまり、授業点が大変高い点数を頂けたため、課題レポート2本に本腰を入れ、本腰だった「ケースワーク」を放棄することにした。GPAを高得点で残すためには、「ケースワーク」に希望が持てないからだ。

今週中に1本出すと、気持ち的にも大変楽になる。
きちんと修了した暁には、次年度1年間を研究生として残り、いずれ博士号を目指せたら、と思っている。

子どもたちが、今年、来年と受験が続く。
彼らも、自分たちの進む道を選択する年齢になったのだなぁ、と月日が経つのが早いと感じる。

次に「公」。
仕事の内容は充実している。
アカデミックとプラクティカルなバランスは良いが、職場環境はなんとなく落ち着かない。

難しい。
同僚の多くは、モチベーションアップのために、周りに気を配りながら仕事をしているが、いまだに「自分本位」な仕事の仕方をしている職員もいる。

本人がそのことに気付いていないのか、わかっていて意図的にしているのか、いずれにしても問題であるが、上長がそれを許可し、他の者のモチベーションを著しく下げていることや、職場環境に響いていることを気付いていないことが一番の問題である。

私としては、プロ意識が薄い(私たちは給与という対価をもらっている以上、その仕事に対してはプロ意識をもたねばならない)としか思えないのだが、周囲の納得が得られないこだわりや、上から目線発言があったりすると、ゲンナリする。

正直なところ、首をかしげることが多くなってきている。

たとえば、様々な報告において、「目的」「成果や評価」「課題」の三点が欠かせないが、視点がずれている報告書があがってくる。それは「個人」が思っていることと、「組織」としてしなければならないことが完璧にずれているからに他ならない。そして、その人が何をするのかというスタンスの認識がそれぞれにずれているのかもしれない。

そして、出張や研修について、同じセクションのものが、事前に「どこに何しに行くのか?」なぜ「不在なのか」知らない場合が多い。不思議である。

「上長に許可を得れば良い」。手続き上は確かにそうだが、不信感が生まれている。まぁ同僚に言わせれば、その手続き自体が逆だと。確かにね、上司からの命令が最初だよね。でも私も、自分から、(担当会議に)有益だと思える会議参加などは自分から申請しているけど。

出張は個人のために行くものではない。「組織」という意識が欠落している。きちんと会議で話し合うなり、その出張の妥当性(「組織」としてのスタンス)を検討してから行くべきだ。現に今まで「○○へ行くのだったら、何々をしてきて(見てきて、質問してきて)くれませんか?」などと情報共有ができていた。それができないなら、出張評価をきちんと行うべきだ。しかも、役職付ではなくヒラの職員なのだし…。

周りのモチベーションが下がり、「どうでもいい」「辞めてもいい」という思いになっていくことに対して、色々とモチベーションアップを考えているワタクシだが、本来は上長が気付いて、対処すべきものだ。しかし、今までのことをみると、それは望めそうもない。

そうなるとやはり、気持ちのあるもの同士で、自分たちを高めていく環境づくりをせねばいけない。そんなことを考えながら、なぜか、私がそんな気遣いをすることに、少し疲れてきてしまったのかもしれない。

そんな中、救いが見えてきたのは、職場全体にアンケートを取った「(メンタルヘルス)相談室」の行方が決まったことだ。

アンケートを提出していない私が言うのも何だが、数年前に出したアンケートに書いた案が採用されていた。それは、年に1度のメンヘル相談室受診の義務化である。

まぁ、今の相談員の方々は今年で契約が切れるが、そのうちの一人の相談員は、とても優秀な方であると感じる。臨床心理士の資格をもち、シニア産業カウンセラーの資格ももち、とても実践力のあるかただ。なかなかそういう臨床心理士、産業カウンセラーに巡りあえない。

まぁ、産業カウンセラー協会で講師をなさるぐらいの方なので、素晴らしい方だとは思うが、私どもの職場を辞めても、講演やスキルアップ講座などには参加できたら…と思う。

ただ一つ残念なのは、その相談員が、特定の職員と食事をしたり、電車のホームで話していたことがアンケートに書かれており、それは職務上よろしくない、と指摘されたことだ。

私も、ほかのひとも、電車のホームでお会いして立ち話をしたことがある。特定の職員とは、元メンヘル担当だった職員だ。相談室立ち上げの時から関わり、食事をしたのが始まりであろう。

「立場上よろしくない」というのはわからないでもないが、相談員には守秘義務があるのだから「よろしくない」という表現はどうなのか?と思う。それは単に、その職員をよく思っていない他の職員のやっかみもあるのだろうと思う。

たとえば、私が危機介入の講師として一定の場所に定期的に伺う時、食事は、一定の職員(担当者)の人とする場合がある。それでも、その生徒の話など絶対にしない。だからといって「よろしくない」と言われたら、もともこもない。

話はそれるが、どうしてこういう意見が出てきたのか?
職場全体を見たときに、自分によくしてくれる人間とそうでない人間に区別しすぎだからである。70人にも満たない職員数なのに、派閥のようなグループを作り、あたりさわりなくお付き合いすることが、できなさすぎである。

以前にこういうことがあった。というか今もある。
Aさんと食事に行くと「(Aさんが良く思っていない)Bさんとなぜ仲が良いのか」しまいに「あなたもBさんと同類と思われるから注意したほうがよい」と言われたことがある。

子どもの花一匁のようだ。
不思議なもので、Bさんは、Aさんの悪口など決して言わない。

みんな、アサーティブな関係作りのために、メンヘル講座を受けたほうが良い。
本当にそう感じる。

だから、私が提案した「『産業医面談義務化』だけではなく『メンヘル相談義務化』すべし」が決定したことはとても喜ばしいことだと思っている。そうすれば、すべての人が相談員に接することになり、相談に行きやすくなる。

あーでもない、こーでもないという人間も少なくなるに違いない。
とにかく、そういう人間ほど、自分では気付かないうちにハラスメントをしていることが多いのだから。
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# by lakeforest | 2012-09-30 21:33 | 雑感

よき解決を願って

昨日、外在化の話をしたばかりなのに、私に関係する勘違いな情報が入ってきた。

本当にヒドい勘違いというか、解釈だ。
まぁ放置、無視する。

自分に自信が持てないのかも…そういうことを言い放つということは…。

落ち着いて、やるべきことをやることが一番だと思うけど…。

そしてそういう人たちに共通していることを発見した。

私が言うのも何だけど、感情の吐き出し方が不器用であること、そしてACに見られる傾向があること。

私に降りかかってきた火の粉だが、振り払うことはしない。
私も不器用だけど、いつか真実が見えてくるだろうし、放置。

心頭滅却?

きっと私も、このブログに気持ちを書いて、良き解決を願っているのだな。
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# by lakeforest | 2012-09-07 07:02 | 雑感

外在化

アチーバー再生機かと思われるぐらい、一つの仕事が終わり、次から次へと新しい課題が生まれ出てくる。溢れるように…orz.

今月からあることをやってみることにした。
とても簡単なことだ。
ひとつは、けじめというか、アクセントをつけてみることにした。

家で仕事のことを考えるのをやめ、通勤途上で参考文献を読むのを一切やめてみた。
つまり、家では家族と自分のことを第一に考え、職場では仕事以外のことを考えない、という(極端にも似た)集中型のライフサイクルである。

平日、朝と夕方は家事中心で、参考文献の読書。たまにレポート。SNSでの発信を控え、アプリに手を出さない。(←これが一番効いた)
休日は、学校とレポートを中心に、家事。

すると視野が開けた。
機械に振り回されていた過去の自分が恥ずかしい。

そしてそれ以外の平日は・・・。
通勤途上での参考文献の読書をやめてみた(こんなに気持ちが楽になるものなんだなぁ)。
四六時中、単位修得のことが頭から離れなかったが、心配することがなくなった。

単純だ。
でも何でこのことに気が付かなかったんだろう。

職場については、諦めというか、これも腹をくくったからかもしれない。
まず、条件が合わなければ、自分から辞める決心がついた。
ある種の見切りをつけた。

すると、違う意味で、また積極的に動けるようになってきた。
働きやすい労働環境に近づけるように、実現できるところから実現化する。

疑問に思い、解決を求めたい事柄については、(同僚に聞くのではなく)直接上司に進言するなり、解答を求めることにした。今日もそうしたけど(苦笑)。変な噂になるのをさけ、自分にとって余計なことを、耳に入れないようにするためだ。

私は、上司の顔色を見たり、自分をよく見せようとして働くのはまっぴらごめん。
不器用だけれど仕方がない。

そして、職場の人間関係については、次のようにした。
職場の人との時間外接触を避けることに決めた。

何か魂胆があるように思われたり、まったく自分はそのようなことをしていないのに濡れ衣を着せられたり、羨ましがられたりしたが、そういうバカバカしいというか、くだらない考えを持つ人間と時間を使うことを辞めた。見方を変えれば、自らその人と関わるというか共有することにもなるのだから、ヒッキーではないが、自分の世界、自分らしさを大事にしたいと心から思った。

職場での「他人のこと」や「うわさ」を耳に入れない、そうすれば気にならない。
今までの笑顔の自分に戻れそうだ。

幼い頃からの母からの言い伝え(苦笑)。
「沈黙は金」「口にチャック」を貫く。
ただ愚直に与えられた任務を果たすことに尽きる。

すると、自分が少し変われた。
変わったような気がする。
いや、変わった。

まぁまだ1週間も経っていないが、このまま後半に向けてしばらく維持したいと思う。

どうなることやら…。
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# by lakeforest | 2012-09-06 00:43 | 価値観

考えの坩堝

大学院の夏期集中の講義が終了。あとの集中講義は、秋の3連休などを生かしたものだ。レポートがたくさん残っているので、修了に間に合えば良いが・・・。

久々の日記。否定的なことばかり書いている、ポジティブにネガティブマターを発信する!それは単に、怒りのぶちまけじゃないのか?そうとも言えるかもしれないけれど、大事なことだ、と自問自答。


◎シンクタンク
自分の考えを出してくれ、と言われた。
「嫌だ」と正直思った。

組織のより良い活動のために、自分の「考え」や「アイディア」をシェアし、「どう実現していくか」。
私にとっては、その実現過程の中での「それぞれの情報や考えの共有やシェア」というのが、働きの最高の喜びだった。

それなしに「考え」を提供することなどありえない。
だから「嫌だ」と思った。

その共有や分かち合いがなく、権力行使する人間はたくさんいる。
そういう自己実現的に生きている人間にはなりたくないし、そういう人と「考え」の共有などしたくもない。

それに、今の職場でいえば、多くの専門職(に近しい人)がいるのだから、その知恵を十分に出し合えばよいだろうし、私は、専門外の「考え」をシェアするほどの報酬をもらっていない。

だから職場の専門分野以外での発言は、進んで出し惜しむ。限りなく傲慢であるが、専門分野の人はそれなりの報酬をもらっているのだから、当然のことであると思っている。

やすやすと私の大事な、小さな小さな、それでも濃縮されたドロドロで濃~い「考えの坩堝」を開けたくはない。それだけだ。

そのような中でも、その坩堝を開けて一緒に分かち合いたいと思う同僚が一人でもいることはうれしいことでもある。


◎もの申す…
「立場」を考え「役割」をこなす場合、難しいのは、たとえば、ボランティアとともに活動するプロだ。

表面上「同じこと」をしているのに、方やボランティア、一方は有償という顕著な例。

その違いは何だ?

実質的な行為の先に示されたものが違う。
「有償」の対価には、立場上果たさなければならない「義務」があるはずだ。

そこをしっかりとおさえて、仕事をしないと。


◎これから先
おそろしい。
これから、どうなっていくのか…。
万物の事象は、最終的には、神にゆだねる、神のみぞ知る、というところ。

時々引き合いに出される「神」という言葉が、なんとも口当たりの良いというか都合のよいものになっているとき、本当にそれでよいのか?と思ってしまう。

そう考えるこの時にでさえ、その方は、私たちのそばにいて、寄り添っていることを忘れてはならない。だから、大丈夫なのだ、結局のところ。

なるようにしかならない。
自分にとっての最善を尽くしていくこと、このことを着実に誠実に果たすのみなのだろう。

だけど・・・なんでつらい時に読みたくなるのが旧約聖書なんだろう。とくに『ヨブ記』。
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# by lakeforest | 2012-08-28 06:36 | 価値観

中身

*感触
常用しているノートPCが壊れてしまった。
仕事から帰宅して、さてレポートに取り掛からねば…と思っていたところ。
何度パスワードを入れても、はじかれてしまった。

ゆっくり入れなおす、CAPS LOCK?おかしい。
隠れ文字ではわからない。
見える状態にして、押してみる。
あらら、一文字抜けている。
ゆっくり押してみる、おかしい。
何度おしても、一文字反応していないことが判明。
だめだ、無反応。

ネットで修理の見積もりを開いてみる。
新しく購入しても1万ちょっとしか変わらない。
というわけで、今日から新しいPCを使用している。

でもとても打ちにくい。
キーボードの形や、深さ、キータッチ感が全く違うためであろう。
感触って大事だなぁと思った次第。
歳をとると、新しいものになれるのには時間がかかるんだな。詰まりきった中身をいったん外に出して入れ替えるのに時間がかかるということだ。



*ところかわれば
転職して、同じような職位というか、役職についたとする。
でも、それはその組織によって、微妙に異なるし、表記の内容も全く異なる場合がある。

このところ「それは通常、その人(自分)の役割や仕事ではない。本来は…」という発言を耳にする機会があった。仮に、それがその人の前の職場でのその役職名での仕事であり、それが理想であったとしても、今の職場においては異なり、理想に近づけられない無理な環境もありえる。

新しい部署、環境に来たならば、まずは流れを見極めてそれに従って仕事をし、業務上不都合な点があったら、改善点として投げかけてみてはどうかと思う。

「前の職場では」という言葉は慎重に発言したほうが良い。
違いを認めたうえで、今の職場に活かすなり、こういう場合にはどうしたらよいか、というスタンスでの発言ならウェルカムだが・・・・誤解を生みやすい。

言語は考えの表現であるから、無意識な発言などはない。このまま不平や不満、違和感を感じながら、自分流に仕事をしていたら、チームワークはとれなくなってしまう。そして「やりたい仕事(だけ)をやりたい」という態度や発言につながるような場面を見聞きするのは、苦しいと感じている。



*看板の中身
役職つながりで。
私が長い間働いていた外資機関での私の役職は「Administrative Assistant」であったが、そのまたアシスタントが一人ついていた。通常AAというのは、日本でいうと、中小企業の一般職員に毛のはえたようなイメージだが、特定プロジェクトの部署だったので、どちらかというと、プロジェクトマネージャーに近く、研究者がたてたプロジェクトの予算管理、視察報告のチェックと作成などが主な仕事だった。逆に、スケジュール管理などは個々に行い、AAの仕事ではなかった。

この役職は、今の職場でいうなら「事務長」の仕事だ。
US労働省の、この役職での平均給与を調べてみたら、年俸$34,660、時給で$16.6となっていたが、私は当時、(年俸交渉して)約2倍の給料をもらっていた。だから、役職名など外向けの看板なのだと思う。

今はどうだ…?
役職はない(笑)。
仕事内容はアシスタントどころか、プロジェクトにかかわっているのに、時給にしてもこんなにもらえていない。人生で過去最悪の薄給だ。回りに目をやるならば、本当に同じような仕事をしているのに、職員間の「格差」をひしひしと感じている。給料でいうなら、私は一番下っ端だな!(←胸を張って言える)それでも今までは、仕事内容に誇りをもっていたし、同僚の心配りによって励まされてここまできた。

正直「辞めたいなあ」と思うこともある。かといって、この年齢で、今のように自分の能力を思う存分発揮できる仕事につけるとは限らない。まぁいやな仕事も含めてだけれど…。

だからこそ思う。自分の職位に胡坐をかいている人をみると「きちんと仕事をしろ」と。さもなくば、職位剥奪、降格、一から仕事をしてみんしゃい!と。

障害、病気と同じように、役職が「本来の自分」を表すものじゃない。自分の役職や立場で、自分より下位の者と上位の者を判断し、それによって態度を変える人間を見ると、悲しくなる。役職をとった自分に何が残るか・・・・ということだ。


*長崎
娘が長崎の研修旅行(現地学習メインの修学旅行)から帰宅。
雨が心配だったが、不思議なことに、1日目のミサの間に大降りで、全日程傘なしで過ごせたそうだ。

帰宅直後「どうだった?」と聞くと「もう、長崎の人すごーく優しくていい人ばかりで、長崎最高ーーー!!!大っ好き」と、景色よりなにより、どこかしこで長崎の方の温かさに触れて、癒されたようだった。

路面電車のハプニング。500円硬貨しかなかった同級生に「私が入れておきます」と、その子に代わって100円を入れてくださり、借りた同級生はアッという間の出来事で、返すに返せず、そのままおろおろしていると、その方が下車。

ほかの同級生がそれに気づき、あわてて別のリレー選手の同級生が信号待ちで下車して、走っておいかけ、お金をお返しし、走り出した路面電車を追いかけ、おいついて乗ったという。本来はこういうことは絶対にしてはいけないのだが、運転手さんも笑って再び載せてくれたという。

初日、浦上天主堂でのミサの先唱係で、本人は風邪の鼻声で緊張していたが、大役を終えホッとしたと同時に、係の準備で、ゆっくりと天主堂内部を見られて感動していた。長崎カトリックセンターで被爆者のかたのお話を聞く時間では、皆すすり泣き以上で、お礼を言う委員の感謝の言葉でもしゃくりあげてしまったらしい。

毎年のように関わっている先生方が「あなたたち、そんなに泣くなんて。こんな学年は初めてです!」と。「きちんとしなさい」という思いと「あらあら」という思いだったようだ。

外海の遠藤周作記念館(発つ前日に、遠藤周作のいとこである著名なシスターが帰天なさったのも奇遇。記念館の入り口右の大きなパネルに幼少のころの周作さんと一緒に写っている)、黒崎教会、ドロ記念館などを回り、長崎市内へ戻って班行動。

400枚ほど撮った写真をみたが、めちゃくちゃ楽しそうだった。
平戸と天草のコースに分かれる日があるが、私が修学旅行の時に「平戸」まで行けなかった、と悔いていたこともあり、三分の一が平戸、それ以外は天草だったが、彼女は平戸のコースにエントリー。

最初は、フェリーに乗れない、とか、大きな見学施設がない、とぶつくさ言っていた娘に「天草は、観光地化しているし一人で行けるが、平戸は、行こうと思っても行けるところじゃないから」と言った。夫には「そういう理由は子どもには通用しないよ」と。娘も「みんな天草で、フェリーに乗るとかいって、盛り上がってるし・・」と不満げだった。

が、平戸の教会建築、かくれキリシタンの話、資料館など、とても充実していて、そこでも長崎のみなさんのガイドや説明など、人の温かさに触れることができたようで、「ママ、平戸で正解だった。本当によかったよ」と笑顔だった。正解が何なのか私にはわからないが、うれしかった。

昨年ぐらいから、妙に教会活動に目覚め、学校帰りにも教会の中高生部屋に寄って帰宅することがある。「どうして洗礼を受けさせたのか」と教会へ行くのが苦痛だったこともあったようだが、中学生になったころから、毎年夏の合宿をきっかけに、教会へ行くようになった。

今年の合宿も山中湖だが、なによりも楽しみにしているようだ。
それがたとえ、友だち関係や遊び、ふれあいを基盤にしたものであっても、大きな恵みであると思っている。今は彼女にとって大事な居場所となった教会に、長崎土産(物産だけではなく、信仰話など)を持って、また一回り大きな愛を感じて成長してほしいと願っている。
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# by lakeforest | 2012-07-21 08:03 | 雑感

いかりんぐ

いじめ。
どんな世界にもある。
前回書いた同調行動の結果が、それを表している。

痛ましい事件があとを絶たない。
もっとも痛ましいのは、未来を生きる子どもたちの自殺だ。
子どもたちには何の罪もない。

今、いじめられている子どもがいたら、言いたい。
「逃げなさい」ということを。
「そんな学校に行く必要はないんだよ」
「死なないで。死ぬ必要はないんだよ」ということを。
自分が自分を守る手段、力を手にいれるまでは、逃げることも防衛手段なのだから。

いじめられていることを恥ずかしくて言えない。
そう思うかもしれない。
残念ながら、大なり小なり、いじめはどこにでもある。
そのことが恥ずかしい事態だ。
誰にも言えないなら、あったことを全てノートに書き留めておき、それを机の上に置いて、警察、役所、病院、どこでもいい、「助けて」と駆け込むことだ。

子ども相談室に電話をしてみるのもいい。
とにかく「いじめられて悔しい。怖い。悲しい。みじめだ。憎い。助けてほしい。わかってほしい。どうにかしてほしい」そういう気持ちを、わかってもらえるまで発信し続けることだ。
それは決してみっともないことじゃない。
そういう勇気あるあなたを見逃さず、守ってくれる人はきっといる。

気付かない大人が鈍感なだけなんだ。
いじめはどの世界にもあることだから、防衛手段を知っている大人には、あなたのつらさをあなたと同じ様に受け止められないだけなんだ。

勇気を持って、今おこっていることを伝えてほしい。
全力で君を守るよ。
君は1人で生きているんじゃないんだから。
そういう大人は必ずいるから、信じてほしい。

=====
子どもたちがSOSを出しているのにもかかわらず、助けられない教師たち。
いじめと自殺の因果関係を認めない教育委員会、それこそ、やっていることがいじめ集団と同じだ。そんな教育委員会のもとで、いじめがなくなるわけがあるまい。

人間1人が大人になるまで20年。
普通の人は、その半分を学校で過ごす。
教育環境というのは大事だ。

いじめにどう対処したら良いのか、いじめが慢性化しない環境作り、人間関係づくりなど、人を育てるために、真剣に考えたらどうなのか、と思う。大人(教師)の間でも、そういうことが話せない環境や人間関係でいるから、子どもにも向き合えない。

まずは大人が変わるべき。
そして、根本的には職位を持っている大人たちの「対等な人間関係」を作っていくことが必要なんじゃないのか?

まぁ自分の職場にも言えることだから、これは自分へのメッセージにしておく。

=====

原発の再稼働。
経済の問題だというけれど、使用済み核燃料をどうするつもりなのか、それをはっきりと示してもらいたい。

何十万年もの間、放射性廃棄物という危険物質を抱えた地球。地球から人がいなくなる日も想定すべきだ。私たちは、そこまでの責任を背負いながら、原発を稼働すると決断したのだろうか。

人間が、自然の循環を断ち切ることはしてはならない。しまいには、人間がその循環からはじき出されるだけだろう。

まぁ、地球年齢もあるし、人間がどうあがいても、自然の流れに屈することはできないのだろうと思っている。

=====

以上、最近、とくに怒りにも似た感情が湧いたできごと。
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# by lakeforest | 2012-07-15 15:26 | 価値観